今年も東をどりの季節がやってきました。今年は、5月27日から30日(月)の4日間。
それにしても、「おどり」でなく、何故、「をどり」と書くのかな? そんな疑問が湧いてきて、
東をどりのHPを開いてみました。 その発祥について、
「江戸時代から続く新橋花柳界。 京都や大阪には立派な歌舞練場があるのに、東京にはないというのは残念だという川村徳太郎の発案で、芸者の技芸向上の場として、五業組合の協賛のもとに大正14年4月新橋演舞場が創設されました」・・・とあります。
東をどりの発展については、「新橋演舞場の杮おとし(こけらおとし)は、新橋芸者の公演、東をどり。これを初回に東をどりの歴史は始まったとあります。太平洋戦争に敗戦した昭和20年、新橋演舞場も瓦礫と化したが、東をどりはその復興を待ち、川端康成、谷崎潤一郎、吉川英治、川口松太郎など戦後文学の綺羅星に戯曲を依頼し、舞踊劇という新機軸を加えて再開しました。」とあります。
へえェ、踊りにシナリオがあるのですね。
でも、新橋芸者っていうけど、発祥の地は?
またまた、疑問が湧いてきて、これは東をどりを主催する方に、インタビューをしないと解明できないなっと思い、取材をすることに。 取材の記事は次回に!
実は、銀造、昨年の東をどりを楽しく拝見しているのです。ちゃっかり、芸者さんとのツーショットの写真も秘蔵しています。
東をどりのHPは、こちら→http://www2.odn.ne.jp/shinbashikumiai/index.html
銀造のレポートは、こちらです。http://www.chuo-kanko.or.jp/blog/2010/05/post-334.html
是非、新橋演舞場にお出かけされて、綺麗を見て、旨いを食べて、楽しいひと時をお過ごし下さい。