〔晴海〕は今また新たに発展しつつある地域です。
この画像は豊海方面から晴海を望んだところですが、〔晴海トリトンスクエア〕の高層ビル群がよく見えます。これ以外にも、高層マンションなどが新しく増えつつあります。
晴海埠頭へ延びる広い道路は、街路樹が海への憧憬を表現しているかのようです。この奥にはかつて〝国際見本市会場〟があり、時代の最先端を表す実験空間として全国から注目されていたものです。
そもそも、晴海地区では、戦前「国際博覧会」(万国博)の開催が計画されていました。具体的なプランも完成し、一部チケットも売り出されたそうです。さらには、東京市役所(当時)の新庁舎建設計画もあったとのことです。
1940(昭和15)年に予定されていた万博開催計画は、結局戦火が近づく中、中止となりました。
万博会場のメインゲートあたりだったと思われる〔晴海三丁目交差点〕に立って、当時のことを想像してみます。おそらく今〔晴海大橋〕に続く道路のあたりに、中心的なパビリオンが建設予定だったはずです。もし博覧会が開催されていたら、この町はどのように発展したのでしょうか。
〝万博〟は夢に終わりましたが、その時に移動経路として計画された〔勝鬨橋〕は完成し、中央区の名物風景の一つとして親しまれています。中央区がこれからも時代の夢を語る土地であってほしいと願うばかりです。