中央区観光協会オフィシャルブログ

中央区観光協会特派員ブログ

中央区観光協会実施の「中央区観光検定」に合格し、特派員登録をした観光ボランティアメンバーによる中央区の“旬な”情報をご紹介。

執筆者一覧

>>このブログについて

最近のブログ記事

石川島資料館-人足寄場からリバーシティへ

[滅紫] 2011年5月17日 09:30

雨の午後リバーシティの一角にある当資料館を訪れた。


ここは石川島播磨重工業(IHI)が創業の地であるリバーシティ21内に「造船所の創業から現在までとそれと深い関りを持つ石川島・佃島の歴史や文化を紹介した」資料館である。


展示資料の中に「寄場起立」(神宮文庫所蔵のコピー)があった。ご存知の通り長谷川平蔵が作成した「人足寄場設立の建議書」である。長谷川平蔵は池波正太郎の「鬼平犯科帳」で実在の江戸期の人物としては現代の日本人に最もよく知られている人気キャラクターであるが、彼は資料によれば御先手弓頭として1500石の家督を相続していた天明7年(1787)に火付盗賊改長官を加役される。「鬼平」誕生である。その職務の遂行の過程で軽犯罪人の更生の場の必要性を認識し寛政2年(1790)に上記建議書を提出し、寛政の改革に着手していた老中松平定信が採り上げ改革の目玉となった。建議書採用ー即実行!! で石川島と佃島の間の浅瀬を埋め立て人足寄場を建設。1792年には「人足寄場奉行」まで加役されている。寄場は16,030坪あり、ここに炭団製造場、紙漉き小屋、鍛冶屋小屋などがあり収容者は手に技術をつけて社会復帰した。他の資料によると「犯罪者の更生」という考え方自体が当時としては国際的に見てもとても新しいものであったらしい。平蔵は50歳で病没する(過労死?)直前の1795年まで長官を務めた。死後借金ばかりが残り、売りに出した屋敷は後に町奉行の遠山の金さんが住んだ!! とか。因みに1238坪あった平蔵の屋敷跡は都営新宿線の菊川駅の傍に碑があるそうです。


石川島の歴史は寛永3年(1626)に幕府船手頭石川八左衛門が隅田川河口の無人島を拝領して造成し屋敷地としたことに由来する。古くは鎧島、森島などと呼ばれていたが以後石川島と呼ばれるようになったとのこと。1792年には移転したので石川島全体が人足寄場の敷地となった。(IHI資料)


今、1866年に寄場奉行の清水純畸がつくった石川島灯台を模したモニュメントが跡に立っており、そばに人足寄場跡と記した説明板が立っている。


石川島資料館:中央区佃1-11-8ピアウェストスクエア1F

   開館日:水曜・土曜10:00-12:00、13:00^17:00

   TEL:5548-2571

 

100_0020.JPG 100_0025.JPG 100_0026.JPG 100_0027.JPG