江戸城を築くに当たり、大量の物資を輸送できる水上交通は、欠かせないものでした。
東京湾から隅田川(大川)をさかのぼり、日本橋川に入れば、そこは江戸城が正面に控える外堀です。
ここは、周囲に河岸が作られ、城を築き、町割を整理するための、重要な水運路でした。
しかしながら、城の防備となると、どうなのでしょう。
そこに、がつんと立ちはだかるのが、新川の砦です。
隅田川、日本橋川、亀島川に四角く囲まれたエリアです。
この場所、地図を広げると、ごっつい斧の刃の形に見えませんか。
周囲に船番所や、船手頭(幕府水軍の長)の屋敷跡が残るなど、海に向かって睨みを利かせた堅固な防御の跡がうかがえます。
しかし、江戸幕府が安定した太平の世においては、当面の脅威は幕末までお預けです。
「江戸新川は、酒問屋をもって天下に知られ」とうたわれています。
日本橋川の河岸や、日本橋川にほぼ平行に開削されていた新川あたりは、諸国の廻船が集まり、白壁の酒倉が続く、にぎやかな場所だったようです。
上方(関西)から、途中行く手に富士を見ながら、大消費地・江戸へと運ばれた「下り酒」。
江戸湊の出入口に当たるところから、酒類の一大市場が形成されたようです。
その面影が残る場所を探して、川沿いを歩きます。
ありました。新亀島橋の欄干に施された絵。
左右に、「大川をのぼる廻船」、「廻船の荷下ろし」の風景です。
これは、江戸の風景を文章と絵で克明に描写した『江戸名所図会』から用いています。
「新川 酒問屋」などが基になっているのでしょう。
「江戸時代の酒ってどんな味だったのだろう」などと思いをめぐらして、ちょいと横丁を覗くと、美味い酒と気の利いた肴を出してくれそうな、小粋な店がありました。
日が暮れたら、また寄ってみたくなりました。