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中洲 歴史発見 東都食通名家双六は郷土天文館にて

[銀造] 2011年6月12日 11:23

 今日は、箱崎のTCATから清洲橋方面を散歩。 あやめは見つけられませんでしたが、中洲では金刀比羅宮を発見しました。 

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鳥居の下にある記念碑には、

 中洲は江戸時代隅田川の浮き洲なりしを明治初年に埋立て此地に船玉、琴平宮が祀られ産業振興の神として廣く崇められたり。 しかし惜しくも大正12年関東大震災の為に烏有に帰し、再建の機運に至らざりし処、湯浅勘次郎氏の夢枕が機縁となり同士相諮り此地をトして四国琴平宮の御霊を遷座奉祀し廣く繁栄の守護神として茲に神殿を建立し奉る  昭和29年12月吉日 とあります。

 そもそも中洲の意味は、「川の中に土砂が溜まって島のようになっている場所」です。歴史は明和8年(1771)馬込勘解由により埋立てられ、浜町と地続きになる。安永元年(1773)中洲新地が竣工、1775年ごろに料亭などが立ち並ぶ歓楽街になる。 上流からの堆積物で隅田川は何度も氾濫typhoonが続いていた。 田沼時代の奢侈な時代。寛政元年(1789)老中松平定信が推し進める「寛政の改革」により、取り壊され葦の茂る中洲へ。 

 

安政3年(1856)から安政5年(1858)の間に、浮世絵師初代歌川広重が、「みつまたfujiわかれの淵」を描いていますが、この絵では葦が茂った中洲です。

明治初年(1868)に、上記の通り、琴平宮が祀られ、大正12年(1923年)9月1日の関東大震災で烏有に帰し、その後昭和29年(1854)に再建されたのですね。

この時の、ご寄進なさった方々のお名前を琴平宮の石垣???から拝見すると、

鳥居には、昭和29年 新田新作。石垣には、倉谷重次郎様ほか沢山の料亭ほか関係者のお名前が。聞いたことのあるお名前が多いし、日本橋地区の歴史も勉強できます。 中には現存するギネスブックに掲載された名前の料亭もありました。昭和31年に「東都食通名家双六」というのが発行され、本日6月19日現在、中央区立郷土天文館で開催されている「蔵出し これ!クション」で、当時の有名料亭など名前を見ることができます。 さて、あなたは、いくつご存知?http://www.chuo-museum.jp/webmuseum/search_result_list.do?stype=0&startNo=1&inputkeyword=%E6%9D%B1%E9%83%BD%E9%A3%9F%E9%80%9A%E5%90%8D%E5%AE%B6%E5%8F%8C%E5%85%AD&classes=history&classes=archeology

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