今年も暑い夏がやってきました。暑い最中に出歩くと、ついついかき氷やらアイスクリームに手がのびてしまいますね。
氷は江戸時代、六月一日(陰暦)の加賀藩の氷献上の話で知られるように、高貴の人しか口にできなかったようです。維新後は横浜に後れ、東京では明治5年(1872)、函館の天然氷が新富町の氷室に送られ、市民に売り出されました。人造氷は明治16年(1883)、これも京橋区の新栄町に製氷会社ができたのが始まりだそうです。(『中央区史下』)
アイスクリームは幕末に外国人から伝わり、明治2年に町田房造という人が横浜馬車道通りに氷水店を開き、「あいすくりん」という幟を立てて売り出しました。(『牛乳と日本人』) ただ、外国人がまれに立ち寄るのみで大損をしたようです。アイスクリームを一般市民に売り出したのは明治12、13年(1879、80)ごろ、銀座の函館屋で、『中央区史下』では、おそらく日本で最初の店だと言っています。
函館屋の主人、信(しん)大蔵(1831-?)は、旧尾張藩士といわれ、榎本武揚に従って戦った函館五稜郭の残党で、明治9年(1876)京橋区尾張町二丁目九番地(現・銀座六丁目9-7あたりか)に富士山の形をした屋根看板をつけた氷屋を開業して大成功、函館の天然氷や牛乳を商い、後にはアイスクリームやその頃珍しい洋酒の一杯売りをしてバーの元祖ともいわれます。(内田魯庵『銀座繁昌記』、山本笑月『明治世相百話』など) 彼はビール樽のような太鼓腹、洋服に下駄履きといういでたち、客を客とも思わぬ豪語で銀座の奇人・名物男といわれました。内田魯庵は、函館屋の親爺の存在は銀座の誇り、店が無くなったのは銀座の損失とまで言っています。
信大蔵の孫が俳優の信欣三(1910-1988)です。長く名脇役として活躍、多くの映画・TVに出演しました。(彼は泰明小の卒業生です。) 彼の書いた文章『元祖アイスクリーム函館屋』には、「おじいちゃんは榎本武揚からお金を借りて函館屋を開いた」、「アイスクリームの作り方は、函館戦争時に幕府顧問のフランス人から教えてもらった」とあります。ところで、函館屋のアイスクリームのお味はどうだったのでしょうか。こう書いています。
「私の不幸は、アイスクリームは家のが一番おいしいと思って育ったものだから、未だに何処のお店のアイスクリームにも手が出ない、食べる気になれないことだ。」
なお、函館屋一族と信欣三の墓は谷中霊園にあります。
[写真上] 旧尾張町二丁目九番地あたり
[写真下] 谷中の「函館屋」(右)と「信欣三」(左)墓碑