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賀茂真淵 県居の跡

[浜太郎] 2011年7月31日 22:18

賀茂真淵と言えば本居宣長、平田篤胤、荷田春満と並び、国学の四大家の一人として、現在でも評されています。その賀茂真淵の碑文が清洲橋通りの日本橋久松町側の壁面に掛かっています。

賀茂真淵は現在の浜松市で生を受け、37歳の時に京都伏見の荷田春満の許に入門。

師春満亡き後、真淵41歳の時、江戸に下り、田安宗武(八代将軍 吉宗の次男)に和学御用に取り立てられ、邸も田安門内に与えられました。

1764年、真淵68歳、住居を日本橋浜町に移し、自らこの新居を「県居」(あがたい)と呼んだ。「県居」とは、「田舎住まい」という意味で、家も庭も田舎風に作った住まいだったのでしよう。

碑文よると「県居」の位置が、この地点より北東約100メートルの辺り、とありますので、多分写真の赤いバスの付近(現在の日本橋浜町一丁目)と推測します。

この浜町の「県居」で、よく「月見の歌会」を開き、その時の歌が碑文に詠まれています。

「露がびっしり下りた原をかき分けて」とある通り、当時この辺りは、虫の音が聞こえる原っぱで、今日では想像できない、風流な田舎であったと思います。

1769年、真淵73年の生涯の中、この地には6年間しか居なかった割には、「県居」として最も愛した土地ではなかったかと、私なりに勝手に想像しています。