日本橋川が江戸城外堀と分かれるあたり、一石橋の南詰西側に比較的大きな石標があります。
正面に「満よい子の志るべ」と彫られており、石標の左側が「たづぬる方」、右側が「志らす方」とあり、文字の上部に長方形のくぼみがあります。
尋ね人がいる場合、左のくぼみに人物の特徴を書いた紙を貼ります。知っている人は右のくぼみに紙を貼って、情報を交換するのだそうです。
尋ね人というと、遥か昔の、隅田川のほとりに残る梅若伝説を、ふっと思い起こします。
人買いにさらわれた梅若が、京を遠く離れた東(あづま)の地で、病のために命を落とします。
それを追って、我が子を捜し求める母の姿。
能や浄瑠璃、絵画の題材など、多様な芸能、芸術の中に表現されてきた、人の強い思い。
離れ離れになった人を捜し求める、狂おしい思いは、時を越えて生きています。
現在は、ほとんどの人が携帯電話を持ち、パソコンを使いこなす、高度な情報社会です。
そうした時代であっても、つい半年前の震災の折、繋がらない電話に家族の安否を確かめるすべも無く、ひたすらに自宅へ向かって歩き続ける人の流れ。暗く、寒い中を、ひたすら足を進める人々の姿がありました。
この石標は、江戸時代後期、迷い子が出れば町内で責任を持って保護しなければならないという仕切りから、近在の有力者が建てたものといわれます。
湯島天神や浅草寺境内にも、「まよい子のしるべ」石やレプリカが残っているのは、そこが諸国から集まる尋ね人が多い、江戸の繁華街だったからなのでしょう。
「まよい子のしるべ」には、人を捜すという切ない思いが、ぎっしり込められているのですね。