長崎屋 今に出るよと 取りかこみ(当時の川柳)
日本橋本石町長崎屋
(葛飾北斎)
江戸の庶民は、日本家屋の中にいる南蛮人に興味津々のようです。
肩車をして、子供に見せようとしているお父さんもいます
これは、年に一度(江戸後期には、四、五年に一度)、長崎の出島から江戸にやって来るオランダ商館長(カピタン)一行が泊まっている長崎屋(日本橋室町4丁目2番地付近)です。
一行の滞在中には、この建物に江戸の学者や文化人が訪れて、カピタンに随行した医師や学者から、西洋文明の知識を吸収していたそうです。
一方、随行した学者たちも道中見聞した日本の文化や動植物を観察し記録し、本国に帰ってから本にまとめて発表したりしています。
ドイツ人の医師で博物学者のシーボルトもその一人で、江戸滞在中、蘭学者に面談し、指導して、影響を与えています。
このシーボルトの像が、中央区のあかつき公園(築地7-19-1)にあります。
シーボルトの娘いねの開いた産院がここ築地にあったそうです。
背景に見えているのは、聖路加タワーです
長崎屋はもうありませんが、長崎屋跡のプレートが、江戸通に面したJR新日本橋駅4番出口に立っています。
鎖国下の江戸にあって、日本橋の長崎屋は、世界を見ることのできる唯一の窓だったんでしょうね
長崎屋については、「それでも江戸は鎖国だったのか オランダ宿日本橋長崎屋」(片桐一男、吉川弘文館)に詳しいです