隅田川にかかる永代橋は、 元禄6(1693)年に、今の場所より150M上流に架橋されました。
外観はがっしりとしていて、何か男らしい感じがします。
この橋では、はるか昔、悲しい出来事がありました。
当時、橋を修理維持するにも莫大な金がかかり、洪水、焼失の危険もあり、幕府は両国橋を残し
永代橋を廃止すりことになりました。町人たちは自分たちで維持することで、橋を残したものの、
修理補修もままならずでした。
文化4(1807)年 8月19日、富岡八幡神社の祭礼(注)で永代橋は壊れてしまいます。
34年ぶりの祭礼の復活で大いに賑わい、15日の祭礼が雨で延び延び、19日になり、また、
一ツ橋家が橋の下をくぐるまで、橋は通行止めとなり、解除されたとたん、町人たちは一斉に橋を
渡ったため、真ん中が踏み崩されました。そうとは知らない群集が駆け出し、橋は壊れ、多くが、投
げ出され溺死しました。その数440人。
今では偲ぶよすがもありませんが、最近、初老の男性たちに面白い話を聞きました。
昭和20 30年代は、あの橋のアーチを昇り下りし、滑り台代わりに遊んだとのこと。
上から、行き交う車を見下ろしていた、とのこと。大人も、警官も何も怒らなかったそうです。
橋を見ていると、なんとなく、上って見たくなりました。でも危険だからやめましょう。
(注)富岡八幡神社の氏子は、江東区だけでなく、今でも中央区新川、霊岸島にあります。祭礼には
神輿が永代橋をわたり、練り歩きます。 江戸時代は神輿のほか、山車も多く、それに引き屋台、踊
り屋台もでて大いに賑わいました。