宮部みゆきの「平成お徒歩日記」を読んで以来、「いつか私も」と長らく思っていたところ、「中央区の歴史散歩2011秋」というぴったりのこの企画を見つけ早速参加してきました。
今日の参加者は19名、案内人は「勝海舟」のマーク入りキャップが目立つ中央区「文化財サポーター」さん。集合場所の永代橋西詰南側に集まってくる参加者の皆さんはグループ参加の常連の方が殆どで初参加は私を含めて2-3人。小春の陽射しの暖かい快適な散歩日和に感謝してさあ出発です。
吉良邸討ち入り後から泉岳寺までの引き揚げルートは義士の原惣右衛門の「討入実況覚書」や富森助右衛門の「富森助右衛門筆記」によれば「道筋の儀は街筋は御礼日の儀に御座候故差控へ、御船蔵の後通り、永代橋より鉄砲洲へかかり、汐留橋筋、金杉橋、芝へ出候て、泉岳寺へ参候」とありますが、今回はこの内の「永代橋~間新六供養塔のある築地本願寺」まで[永代橋~新川跡~堀部安兵衛の碑~高橋~稲荷橋跡~鉄砲洲稲荷神社~浅野内匠頭邸跡~築地本願寺」の約2時間コースです。
お芝居では引き揚げの時は両国橋のたもとに集合している図が定番になっていますが討入翌日の15日は江戸城への登城日のひとつでしたから登城行列を避けて裏道を通ったというのが正しいようです。
豊海橋前で説明中
亀島橋たもとの堀部安兵衛武庸之碑
安兵衛の住居は京橋永谷町にあったそうですが他の記載内容は史実からすると誤謬が多いとのこと。
古地図を見てサポーターの方の説明を聞きながら歩きます。「豊海橋から高橋までの霊岸島・新川・越前堀などはすっかり変貌していて残念」とのこと。橋の位置が変わっていたり埋め立てられたところが多いので歩いている場所を確認するのも大変。
鉄砲洲稲荷神社の「富士塚」この稲荷社は江戸時代は八丁堀の船入堀に架かる稲荷橋近くの河岸地にあり「湊稲荷」と呼ばれていた。明治元年に現在地に移転。渡された「江戸名所図会」の「湊稲荷社」のところを見ると「いなり橋」のすぐ横に「稲荷」と「富士」が見えます。
「都旧跡 浅野内匠頭邸跡」の石碑」聖路加看護大学の敷地角にある。ここは赤穂藩浅野家上屋敷があったところ。
ポイントポイントでの説明に常連参加者から「それちょっと違うんじゃない」などと顔なじみの方同士の遠慮のない和気藹々とした掛け合いも楽しく、いつの間にか2時間も歩き続けていました。供養塔の前で解散です。「泉岳寺までの続きはいつ?」(中央区はずれるのですが。・・・)という次の企画への期待の声もかかって大成功。
[間新六供養塔」の前でシメの説明。
間新六は引き揚げの途中で携えた槍に金子を結びつけ自身の供養料として築地本願寺の塀の中に投げ入れたというのが伝説になっておりこの供養塔が建てられています。
「中央区の歴史・観光まち歩き」は「江戸東京400年のルーツを歩く」「人形町歴史散歩」など8コースあり2時間程度3名以上のグループで申し込みが可能です。お申し込みは中央区観光協会:TEL3546-6525 「文化財サポーター」の養成講座のお問い合わせはTEL3546-5526