吉良邸討ち入り 葛飾北斎画
今年も気がつくと、はや師走。今から300年以上前の12月14日(旧暦)の深夜、赤穂義士が吉良邸(墨田区両国3丁目)に討ち入りました。
中央区に残る赤穂義士にゆかりの史跡に、浅野内匠頭邸(明石町12先)があります。
ここは、赤穂藩主・浅野内匠頭長矩の江戸本邸跡です。
この赤穂浅野家鉄砲洲上屋敷図は、2007年、浅野家の子孫宅で見つかりました。
面積は、8,974坪8合(29,600平方メートル余り)で、赤穂城(兵庫県赤穂市)とほぼ同じ建物配置が見られるそうです。
「江戸城下変遷絵図集-御府内沿革圖書-」では、
元禄年中之形(1688~1704年)
享保年中之形(1716~1736年)
となっており、藩がとりつぶされた後、上屋敷があったところも分割された様子がわかります。
ただし、この上屋敷の裏門は、泉岳寺(港区高輪2丁目)にある赤穂義士の墓所の門として移築されています。
私が泉岳寺に行ったのは11月26日でしたが、赤穂義士の墓所には参拝に訪れる人が途切れず、義士一人一人のお墓にお線香を上げていました。
*なお、赤穂浅野家鉄砲洲上屋敷図の画像の掲載につきましては、収蔵者である、たつの市立龍野歴史文化資料館様の了解をいただきました。ありがとうございました。