前回から中央区の鉄道のエピソードを御紹介するシリーズを始めました。鉄道ファンならずとも、日本の発展をインフラとして支えてきた鉄道の魅力に少しでも触れていきたいと思います。
前回ご紹介した「鉄道馬車」は線路の保守困難性や馬の糞尿対策の課題もあり、路面電車に置き換えることになりました。1903(明治36)年に新橋ー品川と数寄屋橋ー神田橋のそれぞれで路面電車が走り始めました。現在の中央区にも電車がやってきたのです。
その後並立する資本の合併を経て、1911(明治44)年に東京市が買収して〝公営鉄道〟として再スタートしました。今の都営交通はこの年を発足としています。つまり、今年で開業百周年になるわけです。関東大震災や戦争の被害も乗り越えながら、長い間、市民・都民の足として愛されてきました。
しかし高度経済成長期のモータリゼーションの波の中で〝都電〟は次々と廃止され、最後まで中央区内にも残っていた日本橋-永代橋間も1972(昭和47)年11月に姿を消しました。多くの路線は都営バスや地下鉄に継承されています。
古い絵葉書に残る写真を眺めてみると、電車が町の風景に溶け込んで、生活の一部になっていることがうかがわれます。きっと当時の人たちにとって、親しみやすい存在だったのでしょう。 近くに住まわれる年配の方から、「都電に乗って高校に通った」とか「乗換の電停でよく誰かに会った」とかいう話を聞かせてもらいました。 人々の思い出にしっかり刻まれているのですね。
しかし、もしかしたら中央区にも〝路面電車〟が復活するかもしれません。中央区が今年度に調査を開始した次世代型路面電車(LRT)の計画が注目されています。将来、銀座-晴海間に敷設される可能性が出てきました。もし実現すれば1971(昭和43)年に銀座から〝都電〟が消えて以来の復活になります。
既にヨーロッパなどでは多くの大都市で路面電車が活躍しています。主に〝トラム〟と呼ばれています。低騒音・省エネ・環境保護の面でも期待が高まっています。
今夏訪れたフランスのパリでも、かっこいい電車が行き来し、街に定着していました。2006年になんと69年ぶりに復活した路面電車なのです。
都営交通百周年の記念年にあたり、路面電車にまつわる歴史と展望に触れてみました。地域の皆さんが気軽に利用できる公共交通の発展に期待しましょう。
※写真左上 「戦前の数寄屋橋交差点」(市販絵葉書から引用)
※写真左中 筆者撮影「現在の数寄屋橋交差点」
※写真右上 「日本橋付近の図」(市販絵葉書から引用)
※写真右中 筆者撮影「現在の日本橋たもと」
※写真左下 知人撮影「パリの路面電車(トラム)」