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中央区鉄道ものがたり <その4> 「消えた駅名」

[下町トム] 2012年1月25日 08:30

中央区の鉄道にまつわるお話、今日は第4回目です。
今回は少し視点を変えて今はもうなくなった駅名を探訪します。


都営日本橋駅標_R.JPG

 まず最初は、都営・浅草線「日本橋」」駅です。駅入口は昭和通りに設置されています。地下通路を通じて、東京メトロの銀座線や東西線と繋がっていますが、〔高島屋〕や〔コレド日本橋〕などがあって賑やかな立地の2つの路線駅に比べると、浅草線の駅はほんの少し落ち着いた静かさを感じます。


都営日本橋駅出口_R.JPG


それもそのはず、そもそも浅草線の〔日本橋〕駅は別の駅だったのです。浅草線(開業時は〝都営1号線〟と称しておりました)が1963(昭和38)年に開業した当時は〔江戸橋〕駅でした。

確かにすぐそばには〝江戸橋〟があって、駅名としてはそのほうが素直な気がします。pencil


江戸橋近く_R.JPG その後、東京メトロ(当時は〝営団地下鉄〟)との乗換客が増えたこともあり、一体的にする目的で、1989(平成元)年に〔日本橋〕に改称されました。

ちなみに、〔江戸橋〕という駅名は、遠く三重県津市に近鉄の駅の駅として存在します。東京から消えた駅名が今は遠くに存在するなんて不思議な気もします。


中央区内に存在したもう一つの駅としては〔西銀座〕駅があります。

東京メトロ丸ノ内線はほんの少しだけ中央区内を走っています。ちょうど数寄屋橋付近ですね。最近改装して〔阪急メンズ館〕と〔ルミネ〕が開業して賑わう〔有楽町マリオン〕が目前に目立つ数寄屋橋の交差点に、丸ノ内線の〔銀座〕駅の入口がありますが、まさしくここはかつて〔西銀座〕駅だったのです。subway  

丸の内線・銀座駅_R.JPG


丸ノ内線が1957(昭和32)年に開通したときには〔西銀座〕駅としてスタートしました。既に銀座線の〔銀座〕駅があって、少し離れていたこともあったようです。 


その後、1964(昭和39)年に日比谷線が開通したときに、同路線の〔銀座〕駅開業とともに、丸ノ内線の駅も〔銀座〕に改称されました。〔西銀座〕は、わずか7年弱のネーミングでした。


数寄屋橋交差点_R.JPG

今でも高速道路の高架下のショッピングモールに〝西銀座〟の名前が残っています。

フランク永井さんの歌った流行歌に「西銀座駅前」というのがあります。佐伯孝夫作詞、吉田正作曲のこの歌は「ABC・XYZ」で始まるモダンな歌です。日本の高度経済成長の黎明期である1958(昭和33)年に発売されヒットしました。その前年に発売され大ヒットした「有楽町で会いましょう」とともに、きっとこのあたりの雰囲気が新しい感覚に満ちていたことがあったのでしょう。note 


 西銀座アーケード_R.JPG

廃止されてしまった都電の駅名(電停名)まで含めると、区内には様々な名称があったわけです。例えば、〔三原橋〕や〔越前堀〕など味わいある名称は風景が目に浮かぶようです。eye

 

今回は地下鉄の2つの消えた駅名をしのび、中央区の戦後の歴史を振り返ってみました。少しは懐かしい気持ちをお持ちにになっていただけたでしょうか。 


 次回もまた鉄道に関わるエピソードをお届けしたいと思います。よろしくお願いします。cat