放鷹術とは飼い慣らした鷹を放って野生の鳥獣を捕まえる猟法を鷹狩または放鷹術と云います。
4000年程前に中央アジアで始まり中国、朝鮮半島を経て4世紀頃日本に伝えられました。
勇壮な野外スポーツは貴人に好まれました。
仁徳天皇、一条天皇などの諸天皇や徳川家康、大伴家持・・・等です。
貴人達の為に鷹を調教するのが鷹匠です。
江戸幕府や明治政府は多くの鷹匠を抱えていましたが昭和の大戦後はボランティアの方々により鷹狩りの技術が受け継がれています。
毎年 1月2,3日に浜離宮庭園で諏訪流放鷹術の実演が行われます。
鷹匠の後方の高いビルが電通ビルです。 皮手袋に止まっているのが隼(ハヤブサ)です。この皮手袋は鷹の鋭い爪から拳を守るために必要なのです。甲側には徳川家の三つ葉葵のご紋が描かれていました。ハヤブサは 鷹の中では特に視力が優れています。
このハヤブサを電通ビルの屋上から放して地上から放す鳩を捕まえさせる技の実演です。
屋上からハヤブサが放たれました。
地上では鷹匠が細紐をつけた鳩を振り回します。これを「振り鳩」といいます。
ハヤブサは天空を ぐるぐる回って探しています。下の写真で鷹匠の視線の方向には 近づいて来るハヤブサが写っています。
ハヤブサは なんと言っても速いです。ハヤブサも失敗は許されません。写真を撮る私も絶対に失敗できません。一発勝負だから必死です。 振り鳩を見つけたハヤブサは上空から真っ逆さまに急降下して来ました。
近づいてきた所で鷹匠は 絶妙なタイミングで紐を放し鳩を飛ばしました。 あっという間も無く ハヤブサは空中で 鳩を捕まえ 地上に降り立ちました。 すぐ 食べようとと 羽をむしり始めました。 この時鷹匠は素早く近づいて予め用意していた別の赤身の鳥肉を 鳩とすり替えました。
折角捕まえた獲物を ただ取上げてしまっては ハヤブサも働かなくなってしまうからです。
鷹匠の拳の上にとまって赤身の鳥肉をたっぷり食べたハヤブサは満足した様子です。 気を鎮め 無闇に驚かないように ハヤブサの頭に ピッタリの形状に作られた目隠しマスクを 被せられて何も見えなくなったハヤブサは 暫く 頭を傾け左右に ぐるっ ぐるっと 回していました。 周囲の様子を伺おうと 耳をそばだたせているようで 可愛い仕草でした。 何も見えないことが余計な刺激がなく落ち着くことなのでしょう。このマスクには金ぴかの冠まで付いていました。ハヤブサを大事にしている事が良く分かります。
ハヤブサの他に鷹狩りの仲間には オオタカがいます。幼鳥は胸の模様が縦縞ですが1年以上の成鳥は鮮やかな白黒の横縞模様にかわります。
その他に外国から輸入されたハリスホーク という精悍な鷹がいます。これも同じように「振り替え」(鷹匠間を行き来する技)や 「渡り」(樹上にいる鷹を拳に呼び寄せる技)が 仕込まれています。