中央区立郷土天文館(タイムドーム明石)で、企画展「銭!ぜに!ゼニ!~中央区から出土したお金たち~」が開催されている。慶長17年(1612)、銀貨鋳造の銀座役所が新両替町(現在の銀座二丁目付近)に設置されて、ことしは「江戸銀座開設400年」にあたる。会期は1/28-2/26、月曜日休館、入場無料。
金座は江戸、京都、佐渡、駿河に開設された。江戸金座は日本橋本町で現在の日本橋本石町、日本銀行本店の場所である。江戸開府とともに初代後藤庄三郎光次(みつつぐ)のもとに金貨鋳造がされ、以後、後藤家が世襲した。
銀座の開設場所は江戸、京都、大坂、長崎であった。江戸に置かれたのは慶長17年(1612)で、現在の銀座二丁目あたりである。銀貨鋳造は代々、大黒常是(だいこくじょうぜ)が請け負った。江戸後期、展示解説によると、享和元年(1801)〔(注)現地の中央区教育委員会設置説明板には、寛政12年(1800)と掲載されている〕に日本橋蛎殻町(現日本橋人形町)へ移った。鋳造を江戸に統一した公儀組織となり、蛎殻銀座と呼ばれた。維新後の明治2年(1869)、金座とともに廃止された。
江戸期の貨幣制度は「三貨制度」で、金貨・銀貨・銭貨が流通した。「江戸の金遣い・大坂の銀遣い」といわれるように、東国と西国では通貨の使い方に違いがあったようだ。
展示では、区内の遺跡発掘現場から出土した貨幣が並ぶ。金貨は日本橋一丁目では宝永一分金、八丁堀二丁目からは天保一分金などが見つかっている。銀貨は少なく、明石町から嘉永一朱銀が出土したそうだ。銭貨は広く一般に流通した銅製貨幣で、「寛永通宝」が多数出土した。ひとくちに寛永通宝といっても、何と6種類もあるという。その違いを展示会場で確かめてはいかがだろうか。ほかに渡来銭や雁首銭、模造銀貨も出土している。
貨幣は代金決済に使われただけではなかった。墓に埋められたり、トイレ(埋め甕)に沈めたり、穴蔵、植木植栽跡などからも見つかっているという。まだどこかに埋蔵金が眠っているかもしれない。町人、職人、商人そして武家たちが暮らした江戸。出土した貨幣は何を語っているのだろうか。
会期中、学芸員によるギャラリートーク(展示解説)が2月4日・18日の各土曜日、午後2時から1時間、参加費無料で開催される。●巻渕彰
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