中央区循環バス、"江戸バス"北循環コース"中州"で下車しますと、道路沿いのマンション脇に"真砂座跡"の碑が見えます。右肩には"漱石「猫」上演の地"の添え書きがあります。
右側の説明を読みますと、
夏目漱石の「吾輩ハ猫デアル」は、小山内薫によって脚色された。
伊井蓉峰らが出演し、日本橋区中洲の真砂座跡で、
明治三十九年(1906年)十一月三日から
三十日にかけて上演された。
平成十五年十月吉日
早稲田大学十四大学長 奥島孝康 識 とあります。
地域案内図 AREA MAP を見ますと、日本橋浜町から清洲橋へ向かい、高速下を抜け隅田川近く、右に折れた所です。
真砂座は、明治半ばからは新派の名門劇場だったようです。も一つの劇場は、"本郷座"とのこと。座頭は、伊井蓉峰であり、小山内薫は脚本や演出を担当していたとのこと。
小山内薫は、その後市川左団次と結びつき、自由劇場、築地小劇場などを舞台に活躍します。
説明版では、明治39年の漱石の"猫"について書かれているが、37年に小山内薫訳「ロメオとジュリエット」、38年には、尾崎紅葉の"金色夜叉"が上演されている。
永井荷風は、若いころ隅田川で泳いで水着姿で真砂座の芝居を見物している、とのこと。
この頃は花街であり周辺は賑っていたことでしょう。
ここから清洲橋通りへ出ると、向かい側に鳥居が見えます。
金刀比羅宮のようです。
右側の碑を覗いてみると、この地にあった船玉琴平宮が関東大震災で焼け、昭和29年再建とある。
入って左手に"記念碑"がある。
後ろに廻ってみると、
昭和61年に建てられたもので"中州築立百周年の記念碑"と判る。
表の題字は 鳩山威一郎 の書とある。
説明書きを紹介する。
中州は特別な歴史を有する。
江戸時代の中州は須磨明石に勝る江戸随一の納涼観月の名所であった。
明和年間に築立され三股富永町として繁栄したが寛政年間には埋め戻された。
明治十九年、中州は再び築立されて旧日本橋区中洲町となる。
明治、大正、昭和時代を通し、大川端の地として小山内薫等多くの文化人が往来し、
その作品の舞台となる。
明治の築立から本年四月で百周年を迎えるにあたり、ここに記念の碑を建立する。
昭和六十一年八月吉日
周囲の塀に賑いの跡が見られる。
現在は、箱崎川も埋め立てられて、高速道路下の公園にかつての菖蒲橋の名残りの"あやめ"の名が残されているのみです。