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日本橋長門ー江戸風御菓子司の「雛あられ」

[滅紫] 2012年3月 1日 08:30

雛祭りが近づいてきました。雛人形、桃の花、あられ、菱餅、草もち、白酒、ちらし寿司、蛤。3月3日は季節の女の子のお節句として定着していますが、


―雛祭りの由来は複雑で、中国から伝わった人形(ひとがた)を流して祓う「上巳の祓え」、奈良・平安時代の貴族の間で行われていた「曲水の宴」、そして貴族の女の子たちの遊び「雛(ひいな)遊び」の三者の伝承を背景として今日の形へ変化したものと考えられる―([日本の暦と年中行事]新谷尚紀監修)のだそうです。


同書によれば、―中国では邪気に見舞われやすい忌み日として3月初めの巳の日に水辺で体を清め桃の酒を飲んで邪気を祓う風習があり、やがて上巳は同じ陽の日が重なる3月3日に定められた。―とのこと。「雛遊び」も女の子の遊びとして年中行われていたようで「源氏物語」にも様々な季節(末摘花ー正月、野分ー8月)等に出てきます。

この独立していた3種の風習が結びつき3月3日に雛人形を飾るようになったのは室町時代以降で、江戸時代に入ると江戸城への登城日である「五節句」に定められ、人形は段々手の込んだものとなり一般庶民にも定着したと云われています。


「東都歳時記」(天保8年1837年)には「上巳節供として●三日上巳御祝儀諸侯御登城。良賤佳節を祝す。蓬餅、桃花酒白酒炒豆等を以って時食とす●女子雛遊び2月末より屋中に段を構えて飾るなり。当歳の女子ある家初節句とて分て祝す●宿下がり・薮入り・汐干狩」とありますので、ほぼ現代と同じような雛祭りになっている様子が伺えます。喜田川守貞の「守貞漫稿」には「雛市、2月25日より3月3,5日頃まで江戸十軒店及び尾張町、麹町等、平日他業の家をも雛商人これを借り、また、中店(なかだな)と号して大路の中央に往来を残し両側ともに仮店を列す。官許なり」と雛市の賑わいを描いています。因みに「雛祭りが終わると早く人形を片付けないと・・・・」と云われているのは本来人形(ひとかた)として流していたのが豪華な人形になり、流すにしのびなくなったため、その代わりに「早く片付ける」ことで「穢れを祓った」とみなすことになったということです。「・・・・・」については不明!です。


雛祭りのお菓子は京都の「引千切り」、「草もち」などたくさんありますがこのお節句だけの特別なものはやはり「雛あられ」でしょう。今回ご紹介するのは「日本橋長門」さんの雛あられです。

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長門さんはご紹介するまでもない有名店ですが、八重洲口から高島屋に通じる桜通りにあります。お店の案内によれば創業は享保年間(1716~1735)将軍吉宗の頃、幕府御用の菓子司となり「松岡長門掾藤原信吉」の名前を拝領、苗字帯刀を許されていたそうです。


「雛あられ」は黒砂糖味で可愛い袋に入っている(800円)と菱餅型の箱に入っている(3300円)の2種類があります。写真は袋入りです。また他にも将軍家お出入りだったことを示す「葵最中」、「松風」(これは予約だけ)「わらび久寿餅」「江戸風切り羊羹」が人気です。写真は「わらび久寿もち」(850円)です。本わらび粉使用で一度いただくとやみつきになります。


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世界各地で日本食品がどこでも手に入る現在とは違う30年以上前、クウエート支店に異動になった上司のところに出張者にこの長門の切り羊羹を託したところ、テレックス(メールのない時代です)の返事の最後に「YOUKAN NAMIDA」(羊羹 涙)とありました。


日本橋長門

中央区日本橋3-1-3 TEL3271-8662 日祝休み