今回も中央区の鉄道関連のお話です。
一時「廃線ブーム」というのがありました。廃止されてしまった鉄道の軌跡を訪ねて歩くというものです。もちろん今でも人気があります。このところ、また廃止される鉄道が増えてきて、かつての姿を懐かしむ人々の郷愁を誘っています。
中央区にもそんな想い出の場所があります。
一つは以前にもご紹介したことのある〝銀座の踏切〟です。
正確には〔浜離宮前踏切跡〕としてぽっかりと時代の記憶を留めています。今は〔汐留シオサイト〕になっているところに、かつて国鉄汐留駅があり、そこから築地市場にレールが伸びていました。貨物の形態がトラック輸送に移るにつれて列車の需要が減り、とうとう1987(昭和62)年に廃止されました。
ぼくは廃止寸前の汐留駅とこの築地に伸びる線路のことをかろうじて憶えています。今思えば、物流や情報の世界が大きく変わる時代の節目だったんだなぁ、と思います。
鉄道輸送が築地市場の物流を支えていた時代は遠くなりましたが、その名残りは市場の独特の施設の構造に見られます。円弧を描くような建屋は貨物のレールに合わせて造られたものです。この姿もさていつまで見られることでしょう。
もう一つの〝記憶〟は晴海の貨物線です。
かつて、「東京都港湾局専用線」があって、越中島を起点とした線路は、深川線として豊洲に至り、晴海線として分岐していました。この線路は春海橋と並行して晴海運河を渡り、晴海埠頭の倉庫群まで伸びていました。当時の鉄橋(晴海橋梁)は錆付いたままウォーターフロントの風景の一部に溶け込んでいます。
何年か前まではまだ線路も一部残っていましたが、豊洲や晴海の再開発が進むにつれどんどん姿を消しました。かつてレールが並んでいたあたりは造成のための草地になっています。当時の姿をとどめた案内板がなぜか残っていて、かえって哀愁を誘います。
かつてぼくはこの辺りに住んだことがあって、この貨物線の脇を歩くのが好きでした。春には沿道の桜によくマッチする風景だったことを思い出します。1989(平成元)年に廃止されたときは一抹の寂しさを禁じえませんでした。今や遠い記憶になりました。
久しぶりに晴海埠頭の倉庫街を歩いてみたら、レールの痕跡を見つけました。かつてこの一帯にはセメントや小麦粉を運ぶ貨車が並んでいたんだなぁと思いをめぐらせるばかりです。
こんな東京の真ん中にも〝廃線〟の郷愁があります。時代の移り変わり、都市の変貌を反射させてきた銀色の鉄路は、今は鈍い錆色の中にじっと想い出を噛み締めているようです。
レールは消えても〝記憶〟は残ります。繁栄の歴史とともに、そこで働いた人たちや関わった人たちの思い出として、永く、懐かしく・・・。