嘉永7年(1854)2月10日、日米和親条約締結のための初交渉が行なわれました。
このとき、伝統に基づいた本膳料理を2000両で仕出したと
瓦版に書かれた当時の有名料亭はどこでしょう?
答は日本橋浮世小路の高級料亭「百川」です。
昨年の江戸文化歴史検定で出された問題でした。
百川が出来たのは明和・安永(1764~81)の頃。
天明(1781~87)には名の知られた卓袱料理屋となり、文化文政(1804~30)の頃には本膳料理の高級店として繁盛しました。
1人分の食事代金は最安値で、現在のおよそ1万円相当といわれています。
そんな百川も明治元年に廃業となってしまいました。
室町2-2と2-4の間、三越本店の斜め向かい側。
今は福徳神社がある場所が丁度百川があった所なのだそうです。