5月1日~5日は鐵砲洲稲荷神社の例大祭。
氏子達から「鐵砲洲さん」と呼ばれて親しまれているこの神社は、今年で御鎮座1172年という、大変に歴史のある神社です。
神輿渡御の3日4日は、あいにくのお天気でしたが、
3年に1度の本祭りだった昨年から1年延期になり、
待ちに待っていただけに、氏子の皆さんは元気いっぱいでした。
お祭りに付き物の半纏は、背中に各町会や様々な会の名前が入っていて、粋なものですが、その中に「木挽町」という半纏があったのをご存知でしょうか
実は、この「木挽町」、
今は無くなってしまった町名なんです。
場所としては、銀座中央通りからちょっと東に行って、今は埋め立てられてしまった三十間堀から始まり、昭和通りを越えて、築地までの細長い地域にあたります。
現在の正式な地名は『銀座』なので、雑誌などに「銀座とは思えない下町情緒の残っている地域」とか「裏銀座」などと紹介されることがありますが、それもそのはず、江戸時代からずっと「木挽町」だったのが、1951年に「銀座東」となり、1969年に「東」がとれて『銀座』になった、違う町なんですね。
ですから、同じ『銀座』でも、ここまでは鐵砲洲稲荷神社の氏子ですが、銀座中央通りの方は、日枝神社の氏子です。
もともと「木挽町」の名前は、江戸城改築の折に木挽(木曳)職人を多く住まわせたところから付いたといわれており、江戸三座の一つ「森田座」があった場所で、今では歌舞伎座があるという、芝居には大変に縁のある、由緒ある町名です。
そうした事もあって、三丁目の町会が「木挽町」の歴史を大事にしようと作ったのが、この半纏なのです。
当初は紅殻色だったとの事ですが、いまでは年季が入って、歌舞伎に縁の深い「柿色」に見えるのも、なんとも粋なものです。
今年は工事中だったので、できませんでしたが、お祭りのハイライトの一つは、なんと言っても、歌舞伎座前への、各神輿の渡御。
特に宮元の御神輿は、立派で姿形が美しく、風格があるので、三原橋方面から歌舞伎座に向かってくる姿が見えて来ると、失礼ながら、大向こうから千両役者に声をかけるように『宮元っ!』と叫んでしまいたくなる程です。
次のお祭りの時には、新しい歌舞伎座も完成しているはずなので、きっと、雄壮な姿が見られるはず。
「木挽町」の半纏も大活躍する事でしょう。
今からとっても楽しみです!