江戸時代このあたりは越前福井藩主松平越前守の屋敷があったところです。
屋敷は三方(北・西・南)が入堀に囲まれていました。これが「越前堀」と呼ばれて
いました。 越前堀の護岸は 石積みで、 今でも土中から石垣石が出土すること
があるそうです。 堀の幅は12~15間(20~30m程)あり、運河として用いられ 荷
を積んだ小舟が通っていたそうです。
明治に入り堀は次第に埋め立てられ 関東大震災後大部分が埋め立てられ、戦
後には完全に埋まってしまいました。 今では「越前堀」の名は「越前堀公園」に
見られるのみとなりました。
越前公園には遊具として ECHIZEN LINE という舟がつくられ その周りに象
・イルカ・ラッコがいます。 リアルなSLと自動車が配置されています。
霊巌島の由来
寛永元年(1624年)に雄誉霊巌上人が霊厳寺
を創建し、一面の沼地に土地開発の手が入った。
寛永11年には 寺地の南方に越前福井藩主松平
忠昌が27,000余坪の浜屋敷を拝領した。
(中央区新川1.2丁目)