学生時代に習った清朝第四代皇帝の名が康熙帝であったことを、かろうじておもいだした。
よってこの文字は「きだいしょうらん」と読む。
「熈代勝覧」は1999年、ベルリン東洋美術館で見つかった絵巻物の名前であり、日本橋三越の地下出口の近く、東京メトロの通路で実物の1.6倍のサイズのレプリカが見られる。
この絵が発見された時には果たしてどこの国のモノかが分からなかったが専門家によって日本の江戸末期の今川橋から日本橋の中央通りを描いたものだと判明した。しかし未だ描いた画家も分からない。また、絵巻には「熈代勝覧 天」とあり、「地の巻」か「人の巻」の存在が想像されるが今の所、発見されてはいない。この絵巻は絵の中に文化2年(1805年)の文字がありその頃に描かれたものと推定される。
描かれた日本橋の様子は具体的で生き生きとしている。88軒の店舗がえがかれており、男性1439人、女性200人、子供32人が描かれている。更に犬20匹、馬13頭牛4頭、猿1匹、鷹2羽が描かれていって当時の生活の様子が分かる絵巻物となっている。
たまたま、私は最近まで元の今川橋のたもとに勤務していたこともあり日本橋はなじみ深い街であり、実際に歩いてみると実に面白い。描かれた88軒の店舗の中で今も日本橋で暖簾を掲げているのは現在の三越と木屋の二軒のみである。この店舗の前の中央通りに立って絵巻物を思い出すと自分が江戸時代の人になったような気がする。
(現代の木屋) (文化2年の木屋)
(現代の三越) (文化2年の三越)
描かれた翌年、文化3年に大火があり多くの店舗が焼失したものと思われるが、日本橋界隈にはそれ以前からの老舗が今も店舗を構えておりその変遷を知りたいとの思いがしきりである。「熈代勝覧」が描かれた時代以前からの老舗を思いつくままに挙げてみると、伊場仙が天正18年(1590年)、神茂が元禄元年(1688年)、黒江屋が元禄2年(1688年)、にんべんが元禄12年(1699年)などがあり、あるいは、地の巻、人の巻が見つかれば当時の姿が描かれているかもしれない。ぜひとも見つかって欲しいものだ。
「熈代勝覧」とは「熈ける御代の勝れたる大江戸の景観」の意味である。東京メトロの「三越前」で地下鉄を降りる皆さんに是非とも往時の日本橋の生き生きとした姿を見てもらいたいと思っている。