日本橋の袂にある「滝の広場」、ここは江戸時代間口5間の小屋あり、罪人の晒し場でした。
晒し場といっても死体などを晒すのではなく、罪人を朝から夕刻まで並んで座らせるものです。
最初の晒し刑は延享4年(1747)3月、津軽岩松藩江戸詰祐筆役の武士原田伊太夫と吉原堺屋の遊女尾上の心中未遂。
お互い恋に入れ込み、務めは怠りがちに、また借金で首がまわらなくなったためでした。
この事件を新内「帰咲名残命毛(かえりざき、なごりのいのちげ)」として敦賀若狭掾が書いています。
新内では心中をはかった直後、伊太夫の伯父が尾上と結婚させるために身請金を払いハッピーエンドになるというものです。
そんな不浄だった場所も現在では双十郎河岸があり、
そこから日本橋・神田川・隅田川へと船で川巡りができる素晴らしい観光地になっています。