『漢方医学復興の地』記念碑
中央区日本橋浜町2-9先
明治7年(1874)に明治政府は西洋医学採用を公布し、ドイツ医学を範として医事制度を確立しました。
漢方撲滅運動のさなか、復興に立ち上がったのがこの地で医師をしていた和田敬十郎です。
彼は明治43年(1910)、衣服や食事にかかる費用を倹約し「医界の鉄椎」を自社出版しました。
この書物に触発された若き医師たちが漢方復興運動を継承し、西洋・漢方の両医学が使われることになります。
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