暑い夏、佃・月島地域の氏子が待ちに待った3年に一度の本祭り。江戸三大囃子の「佃ばやし」にのって、六基の大幟旗のもと、「獅子頭の宮出し」やハイライトの「宮神輿の船渡御」などが行われました。
今回の本祭り(例大祭)は、昨年の平成23年(2011年)の予定でしたが、東北大震災のため1年延びて今年となりました。天保9年(1838年)製作という八角神輿が老朽化のため、昨年(2011年)完成した二代目の新宮神輿の初めての「御霊入り」、「巡幸」がありました。
江戸時代の佃島の原形を保つ佃1丁目の町区画。そこには住吉神社があり、1丁目の氏子は「宮元」。祭りの準備・運営は「住吉講」が行い、1丁目を巡行する宮神輿は住吉講のメンバーのみが担ぎます。
1丁目にあるL字型の佃堀には、本祭りで佃1丁目町内に立てる大幟旗6本の棹(長さ約18m)と棹を支える抱木(だき)が、保存のために佃小橋の下に埋められていて、祭りの1か月前に掘り起こされ、本祭りの一週間前に大幟旗6基が設置されました。
合わせて町の家々の軒には住吉神社の「祭礼提灯」が下がり、1丁目の東側と南側に「黒木鳥居」と「又木」が臨時に設置されました。町神輿や獅子頭を安置する葦作りの「お仮屋」もあちこちに造られ、祭りのために新調した揃衣(そろい)の浴衣を着た住吉講の若衆(わかいし)や大若衆、世話役の待機するお仮屋もあり、祭りの雰囲気を盛り上げます。
「獅子頭の宮出し」
4日(土)午前10時、獅子頭の鼻先を掴むとご利益があるとのことで、宮元の若衆(わかいし)が、境内で待機する竜虎の2つの獅子頭めがけて隅田川の一の鳥居の方から参道を猛スピードで走ってきます。獅子頭は若衆によって境内を練り、神楽殿のお囃子舞台へもあがろうとします。男らしい勇壮な獅子頭の宮出しでした。
「船渡御」
昔は宮神輿を担いだまま隅田川に入る「海中渡御」を行ったそうで、歌川広重の名所江戸百景「佃しま住吉の祭」に、大きな神輿が裸の若衆により海中に担ぎ込まれる様子が描かれています。「海中渡御」は昭和37年(1962年)の本祭りを最後に行われなくなりました。
平成2年(1990年)、本祭りでは宮神輿を御座舟に乗せる「船渡御」に変わり、佃から隅田川を下り、月島地域の埋立地南端の豊海町の先を回り、朝潮運河を上りリバーシティ21を回って佃の出船地点に戻ります。
5日(日)の船渡御は、宮出しを行った新宮神輿が若衆により、少女像「みどりの風」の下の隅田川テラスから御座舟に担ぎ込まれ、午前7時、神職や宮元を乗せた御座舟を曳船がゆっくり引いて隅田川を下っていきます。感動のシーンです。大勢の観客が拍手でおくりました。
約1時間の船渡御の後、午前8時に 御座舟が中央大橋をくぐって姿を現すと、待機していた観客から拍手が起こりました。
着船すると、別の船が御座舟に横付けし、乗ってきた若衆が御座舟に乗り込み、宮神輿を担ぎます。大勢の観衆が見守る中、神輿が下船し、船渡御が無事終了しました。
江戸時代からつづけられてきた住吉神社の祭り。佃島の人たちの心意気を伝える中央区の大事な伝統行事として末永く伝えていってほしいと思います。