日本橋小伝馬町の十思スクエア(旧十思小学校)・十思公園一帯には江戸期、伝馬町牢屋敷があった。敷地面積約2700坪(約8900㎡)で、最多時には900人に及ぶ牢人がいたという幕府最大の牢屋敷だそうだ。今回の発掘調査はその一部約900㎡で、これほど大規模な牢屋敷跡の発掘は珍しいという。遺跡発掘現場見学会が8月10・11の両日開かれた。
見学会資料によると、牢屋敷は江戸初期、常盤橋門外にあったものが、慶長18年(1613=配布資料には1618年とあるが、和暦が正しければ1613年になる)ごろ小伝馬町に移転し、明治8年(1875)まで存続した。牢屋敷は刑が確定するまでの拘置所のような施設であった。管理する囚獄(牢屋奉行)は石出帯刀(いしでたてわき)。牢屋は囚人の身分によって区別されていた。ここに入牢された人物には平賀源内、渡辺崋山、吉田松陰、佐久間象山、橋本左内らがいる。
発掘された遺構は、神田上水から引き込んだ木樋・上水桝・井戸や石垣、焼け跡で、陶磁器や瓦、金具類、銭貨などが出土した。(参照資料:「伝馬町牢屋敷跡遺跡見学会資料」中央区教育委員会、2012/8/10発行から) ●巻渕彰