月島地域は江戸時代から在った佃島につながるように、明治になってから造成されたことは既に皆様ご存知のことかと思います。
ごく自然に月島の人々は佃の〔住吉神社〕の氏子に組み入れられていきました。埋立地が新しく出来上がるごとに、氏子地域は、〔勝どき〕〔豊海〕〔晴海〕と広がっていったのです。そして今夏お祭りの季節がやってきました。月島地域の地元っ子の気分は日増しに高揚しています。(写真は前回の本祭りのときのもの)
月島ができるまでは佃島固有のお祭りだったのものが、この地域一帯の大きなイベントに発展していきました。そもそも、〔住吉神社〕は佃島の漁民が徳川家康との縁で摂津の国・佃(現・大阪市西淀川区)から移住してきたときに故郷の神社を勧請したものです。したがって、江戸時代には〝佃祭〟と一般に呼ばれていたようです。
江戸落語にも『佃祭』というネタがあります。主人公の男がたまたま引き止められて佃島で厄介になっていると、その間に乗っていたはずだった渡し舟が沈んでしまい命拾いするところから話が広がるのですが、人情と奇談の混じった変わった噺です。故・志ん生師匠がたまに演じておられました。
歌川(安藤)広重の浮世絵にも残る由緒あるお祭りです。
〝佃祭〟は月島一帯のお祭りになって、今では「住吉神社大祭」と呼ばれています。住吉神社の祭神は海を司る力を有しているといいますから、日本のウォーターフロント都市開発の発祥地ともいえるこの地の守り神としてはまさしくピッタリの神様なのかもしれません。
月島地域一帯に住吉神社のゆかりの建物があります。まず第一に〔勝どき〕に〝御旅所〟があります。住吉神社の大祭では宮神輿が本社を出てこの〝御旅所〟まで巡行し、一晩過ごしてから翌日また本社に戻ります。つまり神様が氏子地域を巡る旅に出るときの〝宿泊施設〟というわけです。
宵宮にはこの〝御旅所〟から各町内の世話人たちが勢ぞろいして神社まで歩いて参拝し、祭りの成功を祈願します。この折の儀式を「参拝式」とも「献燈祭」とも呼ばれます。
〔勝どき〕には各町内の神輿庫がまとまって設置されています。一般に町内の神輿はそれぞれの町の適切な場所に設置されているものですが、このように1箇所にまとまって設置されている例は珍しいものです。神輿の出し入れや清掃の際には隣町同士のコミュニケーションも盛んになります。
また〔晴海〕には住吉神社の〝分社〟があります。1971(昭和46)年に晴海町会の発足とともに創建されました。この地域の水産加工業関係者の熱心な後押しがあったようです。やっぱり〝海の神様〟ですからね。ちなみに、住吉神社の〝分社〟はほかに江東区牡丹にもあります。この由来はまた別の機会にご紹介したいと思います。
さて、今年は本祭りの年です。3年に1回の本祭りを地元の皆はとても楽しみにしています。昨年、大震災のために延期になっただけに一層気持ちがた昂まります。8月3日(金)の宵宮に始まり、6日(月)まで、この地域一帯がお祭り一色に染まります。各町会ごとに神輿を安置する〝御仮屋〟も準備万端です。(写真は月島四の部、月島第一小学校前の様子)
ちなみに、〝御仮屋〟とは、神様が一時的にお宿りになる仮のお社という意味であり、当然ながら神霊を遷した各町会の神輿が安置される聖域です。ほとんどの場合、その隣に〝神酒所〟が置かれます。氏子にお神酒を配る場所という意味ですが、実際には各町内の祭礼総司令本部という位置づけを果たします。
今年は宮神輿(八角神輿)が175年ぶりに新調され晴れてお披露目されます。いよいよお祭りムードが高まってきた月島地域。今週末の賑わいを皆さん是非お楽しみ下さい。