江戸の街歩きをするようになって気づいたのだが、町々に多くの稲荷のお社が見られる。そんな稲荷の一つが中央区日本橋三丁目の「於満稲荷」だ。愛称「養珠院通り」の中華料理店「八重洲大飯店」と「酒席いづみや」の間にある小さなお社で気を付けていないと通り過ぎてしまう。
徳川家康には二人の正室と二十人近くの側室がいたと云われている。その中で、徳川御三家の内、紀伊徳川家の初代、徳川頼宣と水戸徳川家の初代、徳川頼房の二人の大物の生母が「お万」の方である。江戸詰の武士階級の必需品を供給するために日本橋界隈には商家が軒を連ねた。中でも徳川御三家に出入りが許される商家は商いの規模も大きく繁栄した。
お万の方は家康亡き後は落飾して養珠院として紀伊徳川家に暮し家康の菩提を弔ったと云われている。日蓮宗の信仰の篤かったお万の方は池上本門寺等にも各種の寄進をしたと云われ日本橋の商家にとっては大切なお客様であった。
お万の方亡きあとに、その遺徳を偲ぶべく稲荷を勧請した。本来なら「於万稲荷」であったであろうが、紀伊、水戸徳川家を憚り「於満稲荷」としたと云われている。
平成の御世になっても、「於満稲荷世話人」の皆さんが手厚く尊崇され信 仰が続いている。私は稲荷信仰とは縁遠いが、日々、於満稲荷のお世話をする世話人の一人、「酒席いづみや」の女将さんから時に於満稲荷の来歴を聞いている。
「いづみや」は当地に開業して60年余とのことであるが、元々ご先祖は鉄砲洲で酒問屋を営み「下り酒」を扱っていたとのことである。今は日本全国の銘酒を楽しむことが出来る。サラリーマンを引退した年金世代も安心して出入りできる品ぞろえの居酒屋で日本酒愛好家の私は重宝している。