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◆特別展「ふたつの銀座復興-文明開化とモダン文化-」開催中 ~10/13-11/25 中央区立郷土天文館~

[巻渕彰/写楽さい] 2012年10月15日 08:40

中央区立郷土天文館(タイムドーム明石)で第14回特別展「ふたつの銀座復興-文明開化とモダン文化-」が開かれている。明治5(1872)の銀座大火と大正12(1923)の関東大震災の災禍を乗り越えて、復興を果たした銀座を文明開化とモダン文化の視点から切り込んだ特別展で、今日の銀座発展の礎となった原点が浮かび上がってくる。

会期は11/25まで、月曜休館、特別展は入場無料(常設展は入館料100円が必要)。

 

0913_461_121014futatunoginz.jpg140年前の銀座、明治5(1872)の大火は築地まで延焼し、家屋4879戸を焼き尽くした。その復興事業で建設されたのが銀座煉瓦街であった。不燃化された銀座には新聞社などが進出し、情報発信の地となった。当時の貴重な新聞各紙が展示されている。文明開化の波は近代的な銀座を形成していった。大正期の商店ショーウインドー記録写真は斬新な意匠が興味深い。

 

明治後期に誕生したカフェーには文士や画家たちが集い、西洋風の雰囲気で銀座の新しい文化を醸し出したという。大正10(1921)には後藤新平東京市長らが出席して、銀座大火からの復興50年祭を祝った。

 

それから2年後、大正12(1923)9月に突然襲った関東大震災は未曽有の被害をもたらした。当時の被災写真は惨状を生々しく伝えている。復興に立ち上がった銀座にはバラック建築などが建てられ、復興へまい進していった。そして被災から66カ月後の昭和5年(1930)3月に帝都復興祭が挙行された。そのころはデパートの進出、商店のビル化などが進み、今日でもそれらビルの一部が現存している。

 

震災後はモダン銀座としてモボ・モガの風俗が流行った。カフェー文化、マネキンガールなどが進展し、文学や雑誌・出版さらに流行歌まで銀座文化が広まっていったことが、多くの展示物からうかがえる。

 

この「ふたつの銀座復興」と、その後の太平洋戦争でも甚大な戦禍を被った銀座が、今日の発展につながっているのは、幾多の困難を克服してきた「銀座力」といえよう。そんなことを考えさせられる特別展である。●巻渕彰

 

◇関連した講演会も開催される。詳しくは、郷土天文館HP >>