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◆中央区 ここに歴史あり(46) 五街道今昔(2) ~日本橋から甲州街道を歩く~

[巻渕彰/写楽さい] 2012年10月 4日 21:53

中央区内の五街道をゆく、第2回は甲州街道。江戸期は内藤新宿、八王子から甲府を経て下諏訪までの道中だった。現在の中央区内部分は国道1号と重なり、日本橋からわずかな距離しかない。そこで少し足を延ばして、旧甲州街道を継承している、国道20号分岐点まで歩いてみたい。

 

0913_46_121006koshuukaido.jpg起点の日本橋を出発し、中央通りを南へ日本橋交差点まで歩く。ここまでは国道1号や東海道、現国道15号と同じだ。交差点を大手町方面へ西に折れると国道1号は永代通りと呼ばれる(写真上左)。やがて呉服橋交差点に差し掛かる。古くは呉服町があったことに由来する。北側に明治期、「竹久夢二・港屋絵草紙店」があった。

 

南北をつなぐ現在の外堀通りは、江戸城の外堀跡で呉服橋が架かり、西側に呉服橋御門が置かれていた。この外堀通りを神田方面に向かうと一石橋。外堀、道三堀、日本橋川が合流した地点だった。江戸百景「八つ見のはし」や名所図会「八見橋」に描かれている。現在は南詰西側に安政期の「一石橋迷子しらせの石標」(写真上右)と区民文化財である大正期の「一石橋の親柱」が残る。

 

呉服橋交差点を越えた地点で中央区から離れ、千代田区丸の内に入る。南側のビルの裏には「北町奉行所跡」(写真下左)がある。JR有楽町駅付近の「南町奉行所跡」とともに江戸市中を統治していた様子がよみがえる。しばらく歩くと大手町交差点に突き当たる。直進すると大手門、南に行くと国道1号は日比谷通りとなる。

 

内堀に沿って南に歩き、馬場先門の重要文化財「明治生命館」あたりには「定火消同心屋敷」があった付近で、歌川広重が生まれたところだ。このあたりはまた、ヤン・ヨーステン屋敷があったことから「八代洲河岸」と呼ばれ、近代では麹町区八重洲町であった。先に進むと日比谷交差点。

 

日比谷公園の日比谷御門跡を右折して西に向かうと国道1号は晴海通りで、桜田門交差点に差し掛かる。ここで南に左折すると国道1号は桜田通り、日本橋から3kmの標識が立つ。直進すると国道20号で、ようやく甲州街道に出会える(写真下右)。半蔵門から新宿方面へいく道は、現在新宿通りだ。●巻渕彰