今年の夏を彩ったロンドン五輪。閉幕後の英国代表選手のパレードには、大成功に沸く100万人の市民が沿道を埋めたそうです。日本メダリストの銀座パレードは50万人でしたから、さすがご当地ですね。このロンドンに留学した日本人といえば真っ先に名が挙げられるのが夏目漱石(1867-1916)。今回はこの文豪と中央区のかかわりを訪ねてみました。
漱石は生れも住まいも中央区(日本橋区+京橋区)と縁はありませんが、記念碑の類いが区内三か所にあります。いずれも生誕の地早稲田に近い早稲田大学の関係者が建てたもので、漱石作品ゆかりの場所にあります。
①「漱石『猫』上演の地真砂座跡」碑
(平成15年 日本橋中洲5-1)
明治38年1月から39年8月まで10回にわたり「ホトトギス」誌に掲載された『吾輩は猫である』は大人気となり、伊井蓉峰一派により明治39年11月3日から30日まで、真砂座で上演されました。(漱石はこの舞台を見ていないようですが。)
②「漱石名作の舞台」碑
(平成17年 日本橋1-4コレド日本橋アネックス広場)
このあたり狭い横丁に震災前、木原店という寄席があり、『三四郎』『こころ』に登場します。漱石自身も落語好きで、若いころしばしば訪れたところ。
③「漱石の越後屋」碑
(平成18年 日本橋室町1-4-1三越本店屋上)
越後屋呉服店(三越)は『道草』『趣味の遺伝』などに登場します。また「虞美人草浴衣地」を売り出し大評判となります。
江戸生れ・東京人の漱石。都心の日本橋・銀座には大いに関心があったはずで、その作品には、竹葉亭、天賞堂、資生堂、明治屋、丸善等々、今に続く名店・老舗が多く登場します。ご本人も何度も足を運んだことでしょう。
漱石の日記を見ると、一時連日のように銀座を散歩した記述があります。明治43年、いわゆる「修善寺の大患」の直前6月18日から7月31日まで日比谷公園近くの長與胃腸病院(長與善郎の兄が院長)に入院しますが、退院前の一週間は毎夜のごとく銀座を歩いたようです。7月28日には天賞堂の屋根に上り、脚下を見て身のすくむような気がした、とあります。(この入院中の日記には・・・・・胃潰瘍治療のため熱した蒟蒻で腹部を温めるという珍妙なる療法を二週間続け、皮膚が火ぶくれになってしまいますが、蒟蒻代に一週間15丁で25銭支払ったとあります。また、瀧山町(銀座六丁目)にあった朝日新聞社に勤務していた石川啄木が、7月1日と5日の2回、見舞を兼ね社用で訪れた・・・・・などの興味深い記述があります。)
漱石の出世作『吾輩は猫である』の単行本を刊行した大倉書店、服部書店はそれぞれ日本橋区、京橋区内にあり、おそらく何度か行き来したのではないでしょうか。加えて入社した朝日新聞社も瀧山町にあったわけで、漱石と中央区のご縁は案外深いものがあるようです。これからも区内に記念碑ができるかもしれませんね。