これまで〔月島〕の魅力を様々な切り口から捉えてきましたが、今回でひとまず最終回とします。
最後はやっぱり、この町の魅力とも言うべき路地の風景に注目します。
月島には昔懐かしい路地が大通りに直角の形で櫛のように並行に走っています。かつて住宅街を形成するときに、効率よくより多くの住宅を建てられるようにした先人の工夫かと思います。
1918(大正7)年に当時の内務省が東京の労働者の住宅事情を調査したことがあり、月島が対象地域に選ばれました。俗に「月島調査」と呼ばれています。
その当時の地図を見ると、路地ごとに細かく住宅が密集しているのが分かります。結局その姿は基本的にその後も継承され、現在に至っています。
月島は奇跡的に戦災を免れました。石川島の造船所は被災しましたが、運河に囲まれた月島地地域は戦火を逃れることができたため、戦後も古い長屋の風景が残されたのです。
今も月島を歩いていると、昭和30年代の姿そのままの町景色に出会えるので、何だか懐かしくなってきます。そんなたたずまいが、訪れる人の懐旧の思いを刺激するのでしょう。
月島の路地の特徴としては次のような点が挙げられるでしょう。
(1)昔の町割がそのまま残されている。(住宅は建て替えが進んできているが、路地の位置・構成はそのままであることが多い)
(2)路地の真ん中には雨水を排水する溝が設けられている。(江戸期の割下水的な発想かと思われる)
(3)多くの家庭が玄関先に植栽などを設け、独自の小さなガーデニングを施している。(自然発生的な緑化運動)
(4)路地には住宅だけではなく、飲食店もところどころにあり、地域の食のネットワークを支えている。(食と住の融合)
月島の路地では、時々知り合いに会います。そんな時、ごく自然に声をかけてくださるので、とてもフレンドリーです。いまだに家族的な付き合いが残っているんですね。
しかし、この町もだんだん変わりつつあります。
かつての長屋群の多くがマンションに変貌しました。〝向こう三軒両隣〟という付き合い方も変化します。
新しい時代には新しいコミュニティーが生まれるのは当然ですが、月島の持つ人間性豊かな地域特性は残してほしいと願うばかりです。
月島の町内には「誰か見てるゾ」というポスターがあちこちに貼られています。もちろん防犯のために抑止力を狙っていますが、ぼくは実際に「誰か見てる」と思うのです。つまり、地域住民がお互いの安否を心配しあい、怪しいことがあると注意しあって安全を守るというセーフティーガードが働いていると思うのです。本来、地域社会が当たり前に担っていた防犯の力を残している町です。
これからの時代、もう一度このような地域の力を見直すべきではないでしょうか。防犯だけではなく、災害時の助け合いなど、いざという時に自助・共助の力を発揮できる町こそ〝強い町〟ではないでしょうか。
様々な魅力をもつ月島の町は時代の流れとともに徐々に変化しながらも大事なものを受け継いでいます。この町の魅力が続きますようにと祈りながら、このシリーズをひとまず終了とします。お読みいただいてありがとうございました。