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◆中央区立郷土天文館 企画展「中央区を読む-館蔵古文書・記録からみるまちのかお」 ~2月24日まで開催中~

[巻渕彰/写楽さい] 2013年1月28日 09:00

区立郷土天文館(タイムドーム明石)では館所蔵の古文書や関係資料から中央区のくらしを読み解くカギとなるものを厳選して展示している。期間中に学芸員によるギャラリートークも予定されている。会期は224日まで、月曜休館、入場無料。

 

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古文書、というと取っつきにくい印象があるが、そこには人々が暮らした証や商売に精進してきた、生きた記録が残されている。手紙や往還文書から日記、帳簿といった古記録類まで、区民文化財に指定されているものを含め展示されている。


服部家文書は日本橋の紙問屋の記録である。伊勢商人で堀留町に江戸店があった。寛政8年(1796)から昭和期までの約千点におよぶ文書が残されている。明治16年(1883)の「元方総勘定表」には服部家固有の符牒(ふちょう)で金額が記載されている。このころでも符牒が使われていたことが分かる。

 

原胤昭関係文書は、幕末、最後の与力といわれ、八丁堀組屋敷の南町奉行所与力であった原胤昭が関係したもの。維新後、社会事業家として活躍のかたわら、町奉行所与力の実態を記録する活動にも尽力した。その一部資料が区民文化財になっている。中には「オランダ渡りのモルモット1匹がお払いになったので、長崎屋で入札する」といった天保15(1844)のお達しもある。

 

船宿山崎屋関係資料は、明治初期、鉄道開通によって三十間堀に移転して船宿を営んでいたころの資料。通船許可書ともいえる明治5年(1872)の「門札」のほか、持ち船「高尾丸」の看板や営業鑑札が展示されている。

 

豊後岡藩中川家屋敷出土文書は、旧明石中学校付近にあった中川家上屋敷跡の穴蔵から出土したもので、慶応2年(1866)の大火で被災したものと思われ、蒸し焼き状態で炭化した文書である。これを11枚保存処理が施されて、解読がはじまったという。書付や御用留帳が含まれ、慶応元年(1865)と記された日記の一部は貴重な資料だ。

 

これらのほかに佃島渡船関係文書などの展示もある。観覧の理解を深めるために解説シートが用意されているのでぜひ活用したい。郷土天文館では、江戸期、明治期や戦前・戦後に限らず、古い資料があれば相談してほしいと呼び掛けている。●巻渕彰

 

◇ギャラリートークは22日(土曜)と16日(土曜)、いずれも午後1時から2時まで、会場で開催される。詳しくは、中央区HP ら>>