シリーズ10回目の参詣先は『鐵砲洲稲荷神社』です。今回も、散策と吟行を気取って訪ねることにします。
この神社は東銀座、新富町、湊町、入船、明石町一帯を氏子地域とする由緒正しきお社です。ご縁起によると、千年以上も昔から産土神として信仰されてきたという歴史を持ち、何回かの遷座を経て、明治元(1868)年に現在地に鎮座されたそうです。(以前に取材した記事を参考にご覧下さい)
江戸時代には『湊神社』とか『浪ヨケ稲荷』とか呼ばれたこともあったようで、手もとの古地図には『浪ヨケイナリ』と記されています。昨年5月に大震災で1年延期された大祭が4年ぶりに挙行され、大いに盛り上がりました。当社の神輿は氏子町域内にある〔歌舞伎座〕の前で担がれることでも知られています。
境内には〔鐵砲洲富士〕という、いわゆる〝富士塚〟があります。江戸時代の社地ではもっと大きかったそうで、当時の江戸名所の一つとして数えられました。〝富士塚〟は江戸時代に富士山信仰すなわち浅間神社信仰が盛んだった頃に、手軽に参詣できるように各地に建造された〝ミニ富士〟です。区内ではここが唯一のものとして残っています。
貫禄ある鳥居の脇には〝由緒書き〟が掲げられており、この神社のプロフィールを学ぶことができます。本殿の両脇には〝す組〟と記された天水鉢が存在感を示しています。〝す組〟は江戸町火消し四十八組の一つでこの地域を受け持った組の名です。今でも祭礼のときには、この伝統を汲む方々が〝木遣〟を放吟して祝うのが慣例となっています。
さて、この時季の『鐵砲洲稲荷神社』といえば、まず思い起こすのが「寒禊」です。現代では一般に「寒中水泳大会」とも呼ばれますが、そもそも寒中に無病息災を祈願して身を清めるという神事です。今日でも、下帯一つの男衆が大勢集まり、意気高らかに氷柱を入れた冷たい水につかって鬨の声をあげるという名物行事です。(写真は神社ホームページから引用)
今年は、この週末13日(日)に行われます。なかなか珍しい〝裸祭り〟ですので、是非一度見学に訪れてみてはいかがでしょうか。
このような伝統行事も、地元の氏子や町の若い男衆の努力で脈々と受け継がれています。単に行事を承継するというだけではなく、意気と誇りと責任感が集約された文化であると思います。平成の時代になってもしっかりとこの神事が残されていることに感謝する気持ちです。
中央区にはほかにもいっぱい伝統行事があります。この町が文化と文明の町であることを改めて実感しました。
・・・ 町衆の肌に湯たぎる寒禊