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区内寺社巡礼~第11番『住吉神社』

[下町トム] 2013年1月20日 09:00

区内の寺社を巡り、散策しながら中央区の魅力を再発見するシリーズも終盤です。今回は、佃にある『住吉神社』を訪ねました。

 

住吉神社 正面_R.JPG『住吉神社』は既に多くの特派員が取り上げていますし、私も昨年夏の例大祭の折に『月島七不思議シリーズ』のなかで取材したばかりです。したがって、今回はこの神社の周辺のエピソードを中心に筆を進めたいと思います。

月島七不思議~第3話「住吉神社の祭り」


佃島の由来はもう既に有名な話ですが、徳川家康公が江戸入府に際して、摂津国西成郡佃島(現・大阪市西淀川区佃)から漁師33名と同地の神職を同道させ、干潟を埋め立てて住まわせたのが始まりです。地名も信仰する氏神もそのまま継承しました。現在の神社が正式に奉遷祭祀されたのは、正保3(1646)年6月29日(旧暦)であったとのことで、爾来、神社の例大祭はこの日に開催されました。新暦以降後は概ねその日付にあたる8月上旬に祭礼が行われています。

佃小橋_R.JPG中央区・佃のルーツである大阪の佃にかつてぼくの叔父さん一家が住んでおりました。子どもの頃何度か訪ねたことがあります。大阪の佃は市の中心から神戸方面に向かう臨海部で、ここから尼崎市にかけて工場が多かったように憶えています。ちょうど東京の佃島の隣に石川島造船所が造られたように、やはりどこか地域性が似ているところがあります。

渡し場前_R.JPG町の脇を国道2号線(第1阪神国道)や国道43号線(第2阪神国道)が通るほか、阪神なんば線も走っており、大阪と神戸を結ぶ交通の要衝です。きっと往古も人や舟の往来が盛んだったはずです。住民も新しい情報に敏感で事業センスに長けていたのではないかと思います。その末裔が今の中央区の佃に移民し、江戸時代の幕開けにおいて感性と行動力を発揮したのではないかと推察します。


佃島句碑_R.JPGさて、実際に佃島を歩いてみると、いつ訪れてもほっとする雰囲気の町です。まず『住吉神社』に参詣。ここの社域は決して広くありませんが、佃島そのものが神社とともにあるという感じなので、違和感無くたたずんでいるお社といえます。そもそも住吉様というのは海運・漁業など海や水に関わる守護神ですので、この水に囲まれた地域にはふさわしい神様といえるでしょう。正面の大鳥居が隅田川に面して建てられているのも本来舟で神様が出入りされるという証であり、歴史と重ねて感慨深いものがあります。

かつて〝佃の渡船〟があった場所には、劇作家・北條秀司の句碑が建っています。「雪降れば佃は古き江戸の島」というのもいい味わいのある句です。

『住吉神社』の裏手を出て佃小橋を渡る辺りはよくドラマにも使われる景色ですが、ぼくはこのさらに手前の舟溜まりの雰囲気が大好きで す。休日に散歩していると心が和む場所です。


佃地蔵尊_R.JPGこの近くには『佃天台子育地蔵尊』という小さなお堂があるのですが、何と人が行き違えないような路地にあって、大きなイチョウの木が町屋の屋根に穿った穴から空へと伸びて上へ広がっています。なんとも珍しい風景なので、ぼくはよく友人を散策に誘った折にもこの路地を通ることにしています。佃はこのような路地や裏道を気ままに歩きながら散歩するのにも愉しい場所です。ただし、住民の方の生活の邪魔にならないような配慮は必要です。


佃の路地.jpgそれにしても、佃には高い建物が少ないうえに路地が縦横に広がっているので、光があちこちから漏れてきます。夕景の哀愁もまた良し、朝焼けの日差しもまた良しです。ただし、路地が狭いので、漏れいずる日の光もえてして細くなります。今の時期はまだまだ太陽の位置も低く日暮れも早いので、そう広くない日なたに猫が日光浴している風景などもほほえましいものです。

こんな味わい深い町・佃がぼくは大好きです。寒い季節ですが、暖かな光を求めて皆さんも是非お出かけ下さい。

 

・・・ 大寒や日なたの細き佃島