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区内寺社巡礼~第12番『波除稲荷神社』 (最終回)

[下町トム] 2013年1月29日 14:00

中央区内にある個性あふれる寺社を訪ねて界隈を散策し、想い出の一句を献上するシリーズを続けてきましたが、今回でひとまず最終回とします。

 

波除神社標柱.jpg四国巡礼などでは、祈りの旅の出発を〝発願〟(ほつがん)といい、無事めぐり終えることを〝結願〟(けちがん)といいます。中央区の巡礼はまだまだ続きますが、このシリーズの一旦の締めくくりとして〝結願〟の場所を、ぼくの地元でもある築地の『波除稲荷神社』に決めました。

 江戸時代初期に市域拡大のために、幕府は今の築地一帯を造成しましたが、その折に激しい波浪に困難を極めたなかで海上に見つかったお稲荷様をお祀りしたところ、風雨が収まったといいます。その由緒から〝波除〟の尊号が奉られました。

 

波除神社の大獅子_R.JPG長く築地一帯の守り神として信仰されてきましたが、後に関東大震災後の復興で魚河岸が移ってきてからは、さらに賑わいの中心となってきました。昨夏の大祭でも、市場の関係者も多く参加して盛り上がりました。築地市場が移転したらこの祭りもまた様変わりするのでしょうか。それとも変わらぬ雰囲気を残すでしょうか。ただ、350年を超えるこの神社の歴史はきっと受け継がれていくことでしょう。

玉子塚_R.JPG『波除稲荷神社』のシンボルといえば、雌雄一対の獅子頭です。かつては、〝龍〟や〝虎〟とともに担がれて昇運を祈る祭りだったようですが、今は〝獅子〟だけが残され、大切に安置されています。ただし、祭礼の時にはこの獅子も神輿に仕立てられて各町内をにぎやかに巡行します。築地の人たちにとっては、誇りであり親しみあふれる存在です。

 

いろんな塚_R.JPG境内には〝玉子塚〟〝海老塚〟などいくつもの〝塚〟、すなわち慰霊碑が建立されています。市場関係者が、生命への感謝をこめて奉納したものです。鮮魚や鮨に関係する仕事をする人が多い土地ならではのモニュメントです。IMG_20130120_125242_R.JPG

 

 

 

築地市場訪れた際にこ神社に参詣される方も多いかと思いますが、せっかくなので隅田川まで足を伸ばしてみて下さい。勝鬨橋から眺める川面の景色も心が和みます。もう少し暖かくなったら、〝隅田川テラス〟で瀧廉太郎の『花』に謳われる「春のうららの隅田川・・・♪」の風景を味わうこともできますよ。


IMG_20130120_125127_R.JPGまた築地市場勝どき門正面にある『天竹』は気取らず美味を味わえる名店です。毎月29日には〝ふぐの日サービス〟として〝ふぐ天丼〟が通常1,680円のところジャスト1,000円になるのでお得です。一度お試し下さい。


波除神社の節分祭.jpgさて、この時季の行事といえば、2月3日の〝節分祭〟です。ここ『波除稲荷神社』でも盛大に催されます。(「節分祭」の写真2葉は神社ホームページから引用)

節分の日の夕刻、まずは「三矢ノ追儺(ついな)」という古式に則った儀式が行われます。3本の矢を放ちますが、それぞれに「病気を健康にかえる」「辛気を福にかえる」「陰気を陽気にかえる」という意味があるそうです。そのあと特設の舞台から裃姿の撒き手がたくさんのお菓子を撒きます。毎回多くの参拝者が福菓子を求めて訪れます。ぼくも今年はこの撒き手に加わる予定です。

夕暮れの波除神社_R.JPG『波除稲荷神社』では「鬼は外」の掛け声は用いず、もっぱら「福は内」と唱えます。参拝者の幸せを祈る気持ちが境内に溢れます。

 

そもそも「節分」とは〝季節の変わり目〟という意味で、当然ながら本来は年に4回あるわけですが、いつの頃からか「立春」の前の日だけを指すようになったそうです。かなり昔は「立春」を一年の始まりとしていたことから、「節分」は古い年から新しい年への切り替えという意味を持つ大切な日だったのです。

「追儺(ついな)」という行事はかつて京の都を荒らした悪鬼を払うために大晦日に行った宮中行事です。やがて〝鬼やらい〟が〝豆撒き〟という風習になって、全国にひろがっていきました。「節分」が一年の節目の意味を持っていたことから、「大晦日」ではなくてこの日に行われるようになったのではないかと推察します。

 

鬼やらい.jpgぼくの子どもの頃に既に年配だった叔母が「節分」のことを「年越し」と呼んでいました。どうやらそう呼ぶ地域は全国にあるようです。つまり「節分」が大晦日と同じような位置づけだったことが分かります。また、最近コンビ二などでやたら宣伝している「恵方巻き」という風習はもともと大阪を中心とした地域のもので、いつの間にか関東にも広がりました。1990年ごろにセブンイレブンが仕掛けたと言われています。まだ最近のことですね。

大阪では太巻きをその年の恵方に向かって丸かぶりすることで運を招くとして古くから行われていました。このとき口を利いてはいけないというのがしきたりです。しかし、この大阪での風習もそう古いものではなく、もともと船場の旦那衆がお茶屋遊びで行っていたことを大正時代に一軒のすし屋の店主がニーズ開拓のためにキャンペーンを行ってから一気に広がったというのが通説です。つまり、「土用の鰻」や「バレンタインデー」とよく似た発祥なのです。

 

波除神社節分2.jpgそれはそれとして、「節分」の日に〝豆撒き〟をして福を願う気持ちは今も変わりません。大抵の家庭では、お父さんが鬼の役を務めるのではないでしょうか。子どもたちにさんざん豆をぶつけられて逃げ惑うのも大切な役割ですね。子どもたちが寝入ってから、お母さんにねぎらいのお酒でもついでもらうのでしょうか。築地の町でも節分の夜にはあちらこちらで互いにねぎらいあう様子が見られます。

 

「立春」と聞けばまだ寒くても気持ちは春にたなびきます。皆様にとっても明るく幸せな春が訪れますようにお祈りします。

 このシリーズはこれでおしまいにします。お付き合いありがとうございました。

 

・・・ 星冴えて鬼をねぎらう茶碗酒 bottle