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◆中央区 ここに歴史あり(49) 五街道今昔(4) ~日本橋から奥州街道を歩く~

[巻渕彰/写楽さい] 2013年2月 7日 10:30

中央区内の五街道をゆく、第4回は奥州街道。江戸期は日本橋から東北へ千住宿を経て陸奥白河までの道中。現在の中央区部分は室町三丁目交差点までは国道17号と重なり、ここを右折して東進すると江戸通りで国道4号、6号となる。さらに昭和通りを左折し北進すると国道4号で、千代田区との区境の地蔵橋跡までである。

 

0913_49_130206oshukaidou.jpg室町三丁目交差点の江戸通り側、JR総武線快速「新日本橋駅」出入り口に「長崎屋跡」の説明板が立っている(写真上左)。鎖国のなかでも海外との窓口になったところで、オランダ商館長の定宿だった。ここに20日間滞在したと狂歌に詠まれている。敷地約540坪といわれるから、付近一帯が旅宿だったのだろう。長崎屋は幕末期、船松町(現明石町付近)に移転して幕を閉じた。

 

江戸通りは関東大震災復興道路のひとつで、当初は「新常盤橋通り」と呼ばれ、のち現称になった。昭和通りと交差する本町交差点は、首都高速を含め、道路標識が交錯したところでもある。

 

国道4号線は昭和通りを北に向かうので、首都高速に沿いながら左折すると宇都宮方面への表示板がみえる(写真上右)。やがて左手に小公園が現れる。地蔵橋公園である。ここには龍閑川が流れ、地蔵橋があったところである。千代田区との境で、両区連記の記念碑が立っている(写真下左)

 

地蔵橋公園の反対側、昭和通りの東側に目を転じると、千代田区設置の「神田八丁堀跡」説明板がある(写真下右)。龍閑川は通称神田八丁堀とも呼ばれたことに由来する。江戸後期、十返舎一九の滑稽本「東海道中膝栗毛」では主人公、弥次郎兵衛と喜多八がこの辺りの住人だったという話からはじまる。一九の墓は勝どき四丁目の東陽院にある。国道4号は上野を経てみちのくへ向かう。●巻渕彰