今回は地味な内容の紹介ですが、私の住んでいる日本橋中洲をテーマにしてみました。
水天宮前駅からTCAT内を抜けて出たところはバスターミナルや高速道路の箱崎インターチェンジの出入り口があるのですが、今回の紹介したいものはその傍らにあります。
まっすぐ数十秒歩くと信号があり、それを右折し進むと、右手の高速道路の入り口の左隣にあるマンションの1階の外壁に、日本橋中洲とかつてそこにあった女橋について紹介がされているプレートがあります(日本橋中洲2−1)。こんなところにこんなものがあるのか、という気持ちからこちらに紹介することにしました。
町名の通り、大川(隅田川)の中洲であったこの地、浮世絵には川の中の葦などが生えている一帯として当時の様子が描かれています(広重 名所江戸百景 みつまたわかれの淵)。
江戸時代には一時、埋め立てられ賑わうものの、寛政期に廃され、明治期に賑わいを取り戻します。中洲は島のようになっていて、現在の高速道路が箱崎川となっていて男橋と女橋の2本の橋でつながっていました。シンプルな名称です。花柳界を感じさせる名称でもあります。中洲には劇場、料亭、飲食店が軒を連ねていたとのことです。永井荷風をはじめとする文人も通っていたそうです。
今は当時の風情はなくなってしまいました。水路も戦時復興時にがれきで埋められてしまい、賑わいもありません。代わりに清洲橋ができ、隅田川で一、二を争う美しさをたたえています。変わらないのはおそらく大川の流れ。中洲を訪れた人もおそらく川をみてしばしの浮き世離れを楽しんだことでしょう。今でも川は人を集めています。
実は日本橋中洲のことに気を留めなくとも、清洲橋や隅田川テラスを通じてこの街を通っている人は意外に多いのです。ただこのプレートはなかなか目に留まりにくい場所にあります。ご興味の方、近くに来られた際、探してみてください。