春の中央区歴史散歩2013「江戸文化の粋と華~江戸歌舞伎の源流を歩く~」は、中央区内の歌舞伎ゆかりの地を見聞する特別企画として、『区のおしらせ中央』で募集したもの。江戸歌舞伎をテーマに、第1回目は4月14日(日)銀座・旧木挽町コース、第2回目は20日(土)人形町・芝居町跡コースで実施された。主催は中央区まち歩きボランティアガイドの中央区文化財サポーター協会。
第1回の銀座・旧木挽町コースは、「江戸歌舞伎発祥の地」碑(写真上・撮影岸本裕子)がある京橋跡北詰で、猿若(のち中村)勘三郎が櫓を上げた江戸初期に思いをはせる。維新後の明治初期にいち早く再興を果たした守田座(のち新富座)が興行した「新富座跡」(現京橋税務署)前では、近代東京の草創期に江戸歌舞伎を伝承する意気込みが伝わる。
銀座六丁目、昭和通り西側は、江戸初期から木挽町3座の芝居小屋があったところだ。山村座、河原崎座、森田座で賑わったが、森田座(のち守田座)だけが残った。ちょうど「森田座跡」説明板が新設されたので、『江戸名所図会』に描かれた情景を振り返る。最後は御存知5代目「歌舞伎座」。すでに中に入られた参加者もいて、人気の高さが表れていた。
第2回は人形町・芝居町跡コース。開場140年を迎えた「明治座」は幅広い演劇上演などで盛況を物語る。浜町緑道(浜町川跡)の「弁慶像」は歌舞伎十八番「勧進帳」の演技を彷彿とさせる。明治座旧地は喜昇座からはじまる創業の地で、変遷を振り返る。
元吉原跡地の「末広神社」(写真下)から大門通りを経て、「玄冶店跡」へ。ここも歌舞伎の舞台になったところだ。楽屋新道跡からいよいよ「堺町・葺屋町芝居町跡」を歩く。中村座、市村座が肩を並べた江戸随一の歓楽街。木挽町芝居町とともに2世紀にわたり江戸歌舞伎の神髄が形成された場所である。「親父橋・思案橋跡」は江戸期、遊興場所方面への入口あたりで、江戸っ子はわくわくしながら渡ったのであろうか。
この2つのコースを歩くと、現在の中央区が江戸時代の商業・流通・経済・交通などの中心地であったとともに、歌舞伎など江戸文化の発信地であったことが再発見できる。@巻渕彰