中央区観光協会オフィシャルブログ

中央区観光協会特派員ブログ

中央区観光協会実施の「中央区観光検定」に合格し、特派員登録をした観光ボランティアメンバーによる中央区の“旬な”情報をご紹介。

執筆者一覧

>>このブログについて

最近のブログ記事

◆中央区 ここに歴史あり(53) 鳥居清長 ~日本橋生まれの美人画絵師 没後200年で回向院に墓碑再建

[巻渕彰/写楽さい] 2013年5月17日 09:00

新生歌舞伎座の正面を飾る絵看板。演目と登場人物を配した絵看板は300年以上にわたって鳥居派の絵師によって描かれている。天明期に美人画で活躍したのが鳥居派4代目当主の鳥居清長(とりい・きよなが)であった。清長は日本橋本材木町で生まれ、没後は両国回向院に葬られたが墓碑が消失していた。そこで、このほど没後200年を記念して「鳥居清長碑」(写真)が再建された。

 

0913_53_130516toriikiyonaga.JPG鳥居清長は宝暦2年(1752)、本材木町(現・日本橋)の本屋・白子屋に生まれた。この地は楓川の西側で新肴場(通称新場)があったところから「新場の清長」とよばれたそうだ。

 

19歳で清長を名乗り、役者絵を専門とする鳥居派の画風を脱し、美人風俗画を得意としてその手腕を発揮したという。江戸名所を背景に八頭身のすらりとした美人画様式は「江戸のヴィーナス」と称される。鈴木春信・歌麿・写楽・北斎・広重と並び、6大浮世絵師として評価されている。

 

天明7年(1787)に鳥居家4代目を襲名。以後は鳥居家の家業の絵看板や番付、黄表紙、絵本などに専念したという。文化12年(1815)64歳で生涯を閉じた。

 

墓所の両国回向院では震災や戦災などの災禍で清長の墓碑が失われていた。没後200年を迎えるにあたって、画業をたたえる墓碑の再建が計画され、4月に新たな清長碑が建立された。高さ2.1m、幅2.0mの小松石で、代表作「大川端夕涼み」をイメージしたブロンズプレートが中央に埋め込まれている。@巻渕彰