梅雨空のなか、人形町通りを歩いていると、甘酒横丁の東角に、朝市が始まっていました。
うわさには聞いていましたが、おばちゃんがひとり、店を広げ、お客さんと笑顔でお話ししています。
写真のキュウリが見事です。カゴいっぱいのキュウリ。
朝採れのツヤツヤ、数えようとしましたが、何本あるか、数えきれません。持てばすごく重そう。。
お客さんは、なじみらしく、皆さん、ひとことふたこと声をかけて店を後に。手にはいっぱいの野菜が。
おばちゃんの写真を撮ろうとしますが、なかなか人ごみが切れません。
遠くから、おばちゃんの様子を見ていると、来る人来る人に、いつも同じ笑顔。この女性、ただ者ではない・・・・。
店がやっと空いたので、近くに行き、私はしゃがみこんで「こんにちは」とご挨拶。
おばちゃんは、 「こんちは、お客さん・・キュウリが良いよ、4本で100円、もう少し負けようか・・ 」なんて笑顔で挨拶。
伺うと、始めたのは、まだ20代のころ、「まだ私だって、ぴちぴちだったよ・・・はははははは」 昭和3年のお生まれ。
若い人はご存じないかもしれませんが、あの、かの有名な京成電鉄で「かつぎや」をしていたそうです。今から20年前にやめて、
その後は、ここ人形町で朝市をやっているとのこと。朝自分の家で採った野菜を持ってきてるとのこと。
「あんた どこだいこの近くかい、いいねえ」なんて言われて、しまいました。そのすぐ後で。
「トマトはどうだい、これもあさどれだよ、どうだい・・」 喜んでみんな買いました。4袋で500円。
「儲けなんか、ないじゃない・・」なんて聞くと。
「いいんだよ、わたしゃあ・・趣味なんだよ」 「家にいてもつまんないし、ここにいりゃ話し相手がいるかんね」
「今の若いもん、こんな荷物持てないよ、この何倍も重たいのもって電車に乗ったんだから、大変だったよ」
昭和40年代、そのころの京成電車の先頭車両、佐倉あたりから「かつぎや」のおばちゃんたちが乗り込み、
都心に入ると、各地のお得意さんを回って、野菜を売り歩いたのだ。
今、おばちゃんは、我孫子にお住まい。旦那が、朝7時 ここまで、軽トラで乗せてきて、ここに置いてかれて、11時まで商い。
今日のおばちゃん、野菜の売れ行きが良くて、あと残すはキュウリだけ、旦那の来るのを、ひたすら待っていました。
お店は一週間に一度、雨や天気の悪い日はお休み。体調の良い時でないと、出られないそうです。
おばちゃんと握手して。 「また来るね」「あんたも、元気でね」とわかれました。
「お名前は・・?」 と尋ねると
「名乗るほどのもんでねえ ははははははー」
昭和の熱い青春のほとばしりをおばあちゃんからいただきました。