永井荷風『濹東綺譚』の挿絵で名高い、洋画家木村荘八(1893-1958)は、明治26年8月、日本橋区吉川町1番地(現・中央区東日本橋)の牛肉店「いろは」第8支店にて、実業家木村荘平の第8子として生れました。干支は二巡して今年が生誕120年になります。
荘八には同母・異母あわせて30人もの兄弟姉妹がいたそうですが、芸術的天分に恵まれたものが多く、姉栄子(曙)、兄荘太、弟荘十は作家、弟荘十二は映画監督として名をなしています。荘八もフューザン会、草土社、春陽会などで活躍した油絵が本業ですが、挿絵の分野でも大人気を博し、舞台美術や趣味の小唄など多彩な活動をした文化人でした。とりわけ文筆の才も遺憾なく発揮、東京に生れ、東京を愛する生粋の東京人として「故郷」東京を語ったすばらしい文章を多く残しています。 (文人・木村荘八には死後『東京繁昌記』に対し芸術院恩賜賞が贈られました。また講談社から『木村荘八全集』全8巻が刊行されています。)
さて、吉川町1番地は現在のどのあたりでしょうか。画家自身戦後に「・・・どの辺で生れたのか・・・現にあの辺へ行って見ても、ほとんど見当が付かない・・・」と変貌を嘆いています(『両国今昔』)が、両国郵便局(東日本橋2-27-12)の少し南、靖国通り浅草橋交差点の東あたりになるのでしょうか。(蛇足ながら、彼のいう「両国」は両国橋の西側、中央区側をさしています。両国吉川町という呼び方もあったようです。郵便局の名前に名残が感じられます。橋の東は「東両国」、今では「両国」といえばこの墨田区側のみを思い浮かべますが。) ここに「間口をだゝつ広くとって、二階前面のガラス戸に五色硝子をあしらった角店」(『両国界隈』)が「いろは」牛肉店(=牛鍋屋)第8支店でした。店の中、玄関の様子は代表作の一つ、『牛肉店帳場』に描かれています。
生誕120年の今年、春に回顧展がお隣千代田区の東京ステーションギャラリーで開かれました。(その後、豊橋市、日光市の美術館に巡回) 彼が愛した生誕の地中央区では残念ながら特段のイベントはないようなので、誕生の日8月21日、旧吉川町と思しきあたり、街鉄に五寸釘を轢かせたり、虎の子の二円五十銭で買った武者絵の大凧を川向こうの回向院の黒い大屋根の上まで揚げたりして遊んだ画伯の少年時代を偲びつつ、浅草橋から両国橋あたりを歩いてきました。
【写真上】 浅草橋交差点から両国橋方面をのぞむ
【写真下】 杉並区長延寺の墓に彫られた画伯のサイン