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◆明治銀座、偉才の先覚者と親子三代 ~「岸田吟香・劉生・麗子」展~

[巻渕彰/写楽さい] 2014年3月 3日 08:14

近代明治の銀座煉瓦街に薬舗「楽善堂」を開き、目薬を製造販売する事業家として、また出版人、思想家、文筆家としても名をはせた岸田吟香(ぎんこう)、息子の画家・劉生(りゅうせい)、孫娘・麗子(れいこ)の親子三代にわたる展覧会「岸田吟香・劉生・麗子―知られざる精神の系譜」展(会期4月6日まで)が世田谷美術館で開かれている(写真上)


0913_561_140222kishida.jpg岸田吟香は天保4年(1833)、現在の岡山県に生まれた。医師ヘボンに出会い和英辞書を編纂し、維新後は明治6年(1873)、尾張町(現銀座五丁目)の日報社に入社、『東京日日新聞』主筆として活躍した。独特の語り口やユーモア、論客ぶりが評価されたという。

 

明治8年(1875)、銀座二丁目に薬舗「楽善堂」を開業し、これまで研究をしてきた目薬「精錡水(せいきすい)」の製造販売に乗り出す。ヘボンから処方された日本初の液体目薬で、ガラス瓶にコルク栓の画期的なものだった。明治38年(1905)、銀座楽善堂で死去、72歳。

 

劉生は明治24年(1891)吟香の四男として、銀座に生まれ、銀座で育った。14歳のとき父が他界。大正2年(1913)22歳で結婚し、代々木に転居する。画家として成熟していき、愛娘をモデルに「麗子像」を描き続けた。

 

昭和2年(1927)の随筆『新古細句銀座通(しんこざいくれんがのみちすじ)』に、思い出として「鉄道馬車の鈴の音を聞きながら青年時代までそこ(銀座二丁目)で育ってきた」と記している。昭和4年(1929)、38歳の若さで死去。

 

麗子は大正3年(1914)、劉生の長女として生まれた。4歳から父の「麗子像」モデルを務める。15歳のとき父が逝去。その後、絵画や演劇、小説などの表現者として生涯を送った。評伝『父 岸田劉生』の刊行を目前に昭和37年(1962)、48歳で急逝した。

 

中央区立郷土天文館(タイムドーム明石)常設展示室には、岸田目薬「精錡水」看板(写真下)、ガラス瓶、引札などの所蔵品が展示されている。@巻渕彰