三原橋地下街(みはらばしちかがい)は、東京都中央区の東銀座駅と銀座駅間の晴海通りにある地下街である。
銀座4丁目の交差点から5分も歩かないところに昭和レトロを感じさせる場所があるのです。
昭和27年12月に三十間堀川を埋め立てられたが三原橋の橋桁を残したまま晴海通りの下に造られた地下街であり、映画館、パチンコ屋、飲食街など娯楽施設として賑わってきた。
地権者である東京都は耐震性への不安などから閉鎖取り壊しをを決定し多くの店も立ち退いて現在も営業している二店舗も今月閉鎖されるという。
ところが、現存する日本最古の地下街ということで保存、再生しようという活動が専門家や学生の間に広まり、その動きに呼応した建築家や研究者らが「三原橋の将来を考える会」を発足し地下街を残した街づくりを検討するという。
地下街を設計したのが帝国ホテルを設計したフランク・ロイド・ライトの直弟子の土浦亀城氏であり「江戸からの水の都の歴史や庶民文化の生き証人であり過去のものとして忘れ去ってしまうのはもったいない」...ということらしい。
晴海通りから数十メートルのところに地下街の入口があり、降りていくと両側にピンク映画の看板や一杯飲み屋、アダルトグッズの店にパチンコ屋、ラーメン屋など少し怪しげな店が立ち並び高校生の頃にはドキドキしながら用もないのに地下街を横断したものだった。
その後数十年、近くには行っても別に立ち寄ることもなく、何となく「まだ映画館なんかやっているんだ?...」とは思っていたけど、華やかなビルや高級ブランドショップの集まる天下の銀座の、そのまたど真ん中からほんの数分のところに、このような猥雑な場所が未だ残されていたほうが不思議なくらいである。
近代的な美しいビルもイイし清潔な街の銀座もイイ、でも、近くに、かって三十間堀川があった場所に造られた古びた地下街があるなんて無機質の街の中で人の存在がかんじられて楽しい。
是非とも三原橋地下街は残して欲しい。 それも昭和レトロを感じさせる雰囲気を残したまま、イヤ、江戸小説のファンとすれば、かつてのお江戸三十間堀川をも感じさせるものに出来ないだろうか?...。
(東京新聞3月26日夕刊から抜粋、写真はWikipediaより著作権放棄によるパブリックドメイン画像をお借りしました)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E5%8E%9F%E6%A9%8B%E5%9C%B0%E4%B8%8B%E8%A1%97
昭和40年代の初め頃まで銀座メトロの京橋駅の構内の改札口の脇を通り過ぎるとメトロホテルというラブホ?があったし、もっと前だが銀座メトロ新橋駅の構内には新橋メトロという映画館があり(今は壁になって分らないが銀座八丁目側の階段を降りて左側にあった)、JRの新橋駅に通じる構内にはクリーニング屋、床屋、おもちゃ屋など小さな店数十店が集まったアーケードがあったのですよ。
銀座は八丁目までなのに銀座9があります。 ここは汐留川を埋め立てて高速道路を通し下をショッピング街としたものです。
埋め立て前はボート屋があり、浅草行きの水上バスの乗船場があり、夜になると、おでん屋やラーメン屋などの屋台が連ねていました。
そうそう、「銀座九丁目は水の上...」っていう歌が流行りましたっけ。 そのころの銀座は、間違えなく人の息吹を感じさせる街でありました。