桜川公園の南側に小さな祠がある。入一地蔵菩薩の幟が建つ境内に「むしば祈祷石」が建立されている(写真)。この地は江戸初期に開削された堀割の八丁堀(明治期以降は桜川)が北側に流れ、中の橋が架かっていた南詰東側であって、かつては南八丁堀と呼ばれていた。「入一」とは入船町一丁目から名付けられた地蔵尊である。
この「むしば(虫歯)祈祷石」には、こんな記録が残っている。
「あぶら石(歯痛)=京橋区南八丁堀二丁目の路傍(みちばた)に、周(まはり)三尺余高さ二尺余のあぶら石と称する自然石(じねんせき)が古くより存在してゐる、以前は表面も頗る滑(なめら)かがあつたが、数年前火災に罹(かゝ)つて油石の油も燃切り、今はガサ/\石と変じて了(しま)つた、何の理窟か分らぬが古来歯痛(はいたみ)の願を懸けるものが夥(おびた)だしい、又油石の下には石で作つた男女の首が埋めてあるといふ説もある。(「東京朝日新聞」明治40年(1907)12月15日付)」
迷信と分かっていても、今日でもつい頼りたくなる「願掛け」や「まじない」は、江戸期では民間信仰の行為として庶民に受け入れられたものであった。中央区内でもいくつかの伝承があるが、現在、形に残っているこの祈祷石は珍しく、貴重な民俗遺物といえよう。@巻渕彰