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◆ 隅田川『 佃大橋 』50年

[隅田の花火] 2014年12月10日 09:00

今年は1964年の東京オリンピックからちょうど50年でした。
それを記念して各地でイベントが行われたり、テレビ番組で特集が組まれたりと、何かと話題になりました。

s_hanabi12-1.jpg(写真:2014/10/11 中央区勝どきから隅田川対岸・汐留の風景・1964TOKYOオリンピック50th)
 

このオリンピックに向けて、新幹線や高速道路・モノレールなどの各種交通インフラが整えられていったわけですが、
中央区ではやはり日本橋の上空に築かれた首都高速が思い浮かびます。

s_hanabi12-2.jpg(写真:2014/11/2 中央区まるごとミュージアムでの日本橋無料クルーズ)
 

他に挙げられるのは、戦後初めて隅田川に架橋された『 佃大橋 』があります。
あまり大きく取り上げられることはありませんでしたが、
オリンピックと同じ1964年に開通ということですので、こちらも今年で50周年になります。

s_hanabi12-3.jpg今回はこの橋について取り上げてみました。
 
この橋は、佃島・月島方面 と 明石町・都心方面を結ぶ橋ですが、姿・形としてはあまり大きな特徴があるとは言えません。

 
しかしオリンピックに間に合わせるために、当時の技術を結集して急ピッチで架橋作業が行われたということですので、
この橋が造られた頃の日本の高度経済成長期を象徴する姿と言えるでしょう。
 
 
この橋ができる前は、橋と同じ位置にあった「佃の渡し」の船が市民の足となっていましたが、
橋の開通と同じタイミングで、この渡し船が廃止になったのだそうです(1964年8月27日)。
 
 
中央区立図書館のHPでは昔の画像を検索できるのですが、検索してみたところ、当時の貴重な写真を見つけることができました。

  リンク⇒佃大橋開通

 
この佃島の渡船は、元をたどると佃島と江戸市中を結ぶ江戸時代初期の手漕ぎ渡し船にさかのぼりますので、
実に320年もの歴史に幕を下ろさせた出来事でした。

  リンク⇒佃島の渡船



オリンピックにより、いろいろな歴史が新しく作られていきまいたが、
その一方で失われるものもたくさんあった、ということになりましょうか。
 
 
この渡し船の面影を、この佃大橋あたりで探してみました。
1つ目は、渡し船があった隅田川両岸にある「佃島渡船の碑」です。

s_hanabi12-4.jpg渡船自体にもいろいろな変遷があるのですが、この石碑は昭和2年に当時の東京市が運営していた渡船の運賃が無料になった時に建てられたものです。

 

 

もう1つは、佃島・住吉神社の水盤舎(おみずや)の欄間に彫られた「石川島の灯台と佃の渡しの風景」です。

s_hanabi12-5.jpgもし住吉神社にお参りされる時に水盤舎でお手を清められた際には、チラッと上のほうをご覧になってください。

s_hanabi12-6.jpgこの建物の四方にはそれぞれ異なる佃島にちなんだ彫刻が施されていて、その1つが「石川島の灯台と佃の渡しの風景」になっています。
明治時代に彫られたものだそうです。

 

 

さて、この50年の間でこの橋の周りの環境や景観も変化、この橋からの風景も刻々と変わってきました。

この橋上は開放感抜群なので見晴らしが良く、なかなか良い風景を拝むことができます。

 

隅田川上流方面には中央大橋やスカイツリーの風景が見られます。

s_hanabi12-7.jpgもちろん佃の街並みやリバーシティのマンション群なども目に飛び込んできます。

 

 

そして下流方面には3連のアーチ橋?
ここ最近でまた新しい景色が加わりました。

s_hanabi12-8.jpg隅田川最下流にできた「築地大橋」のアーチ1つと手前の「勝鬨橋」のアーチ2つが、
同じような大きさで重ならないように見える場所が佃大橋上にあります。

 

1964年当時の人々は、50年後の今のような風景を想像できていたのでしょうか?
さらに50年後、どのような景色に変わっているのか全く想像ができませんが、日本の古き良き情景も残っていてほしいものです。