平成26年12月14日。
師走の衆議院議員選挙投票日となるこの日。
公示前のテレビでは、赤穂浪士の討ち入り映像と合わせて、年の瀬選挙のあわただしさを伝えていました。
「時に元禄15年12月14日」・・か。
「江戸の夜風をふるわせて、響くは山鹿流儀の陣太鼓、しかも一打ち二打ち三流れ」
三波春夫の長編歌謡浪曲、『俵星玄蕃』
歯切れの良いせりふ回し、ドラマチックな場面展開に、小学生ながら二度三度聞いているうちに覚えてしまい、町内会のかくし芸や忘年会の時には重宝しました。
いま、時折、江戸の古地図を広げながら街歩きをするのですが、忠臣蔵関連の散策は王道とも言えるものです。
本懐を遂げて、本所松坂町から、浅野長矩の墓前高輪泉岳寺に向かう道のりは、師走のゴールデンルートです。
赤穂浪士は引き揚げ時も、武装を解除することなく進みました。
鎖帷子で身を守り、弓、槍、なぎなたで武装し、集団で討ち入ったうえは、吉良上野介の実子上杉綱憲からの討手や、公儀の治安部隊の追撃に備えなければなりません。
中央区内の引き揚げルートは、永代橋から始まります。
現在の位置より、150メートルほど上流に架橋されていたというのですから、隅田川大橋あたりになるのでしょう。
湊橋から霊岸島、亀島を通り、高橋を渡ります。
その先にあったのが、赤穂藩上屋敷。
今の聖路加看護大学、明石小学校周辺にあたります。
ここは、浅野内匠頭長矩の生誕地でもあるのです。
更に南に進めば、築地本願寺。子院が甍をならべて連なります。
四十七士のひとり、間新六の供養塔が残ります。
引き揚げの途中、自らの供養料を槍に結びつけ、寺の塀の中に投げ入れたとの話が伝わります。
築地市場を通り、昭和通から汐留通へ進むと、港区へ入ります。
何冊かの本を読み比べてみたのですが、本当のところ、細やかなルートは分かりません。
ただ、元禄15年、1702年から300余年を経た今でも、河川や橋の跡に面影を求めることができます。
300年の時を越えて、大江戸の事件を追ってみるのも興味あるものです。
愛知県の吉良町に旅行した折、地元の方々による「吉良側から見た忠臣蔵」の演劇を見ました。
その心意気が面白く、地元で名君と慕われ、領地巡回の際に乗った「吉良の赤馬」の根付を購入しました。