昨年9月に「祈りの幕が下りる時」の橋を歩く第一弾として、小説中の1月のカレンダーにメモされていた"柳橋"付近について書きましたが、今回はカレンダーの2月にメモされていた"浅草橋"と3月の"左衛門橋"付近に付いて書きたいと思います。
浅草橋に接している中央区の町は現在の町名では"東日本橋2丁目"ですが、住居表示変更前は"日本橋両国"でした。JR.両国駅や両国国技館のイメージから両国という地名は墨田区と思われがちですが、本来の"両国"という地名は中央区にありました。今でも、郵便局の名前には"両国郵便局"として残っています。因みに嘗て墨田区側は"東両国"という地名でした。
又、浅草橋の台東区側の袂には、"浅草見附跡"の碑が建っています。江戸時代に浅草観音や奥州に向かう人々の取り締まりのために見附が置かれたものです。
この浅草見附付近で、江戸元禄時代に赤松清左衛門が太平記を講じ江戸講釈の発祥となりましたが、これを記念した碑が薬研掘りのお不動様に建てられています。
又、江戸時代浅草橋の中央区側には郡代屋敷があり交番横に説明版が建てられていますが、郡代屋敷の敷地だったところには現在日本橋女学館があります。女子中高一貫校ですが、2009年には新校舎が完成、今年の入試から共学となり校名も"開智日本橋学園"と変更されるそうです。
左衛門橋です。
浅草橋と左衛門橋の間にも船宿があり、屋形船が係留されています。
(浅草橋から、左衛門橋を見たところです。左のビルが日本橋女学館です)
左衛門橋は北側が台東区、南側の東側が中央区馬喰町、西側が千代田区と3つの区に接しています。