5月1日(金)~8日(金)(7日は休室)、都庁南展望室で、東京都公文書館パネル展「延遼館の時代~明治ニッポンおもてなし事始め~」が開催中。
2020年東京オリンピック・パラリンピック大会の開催に向けて、海外からのお客様をおもてなしする施設として、浜離宮恩賜庭園に、近代日本最初の迎賓施設であった「延遼館」の復元が予定されていますが、これを機に、東京都公文書館では、改めて、所蔵資料に加え関係機関の資料調査を開始し、これまで解明の進んでいなかった延遼館の歴史に光を当てる作業を取り進め、その中間報告として、今回のパネル展開催に至った由。
<展示構成>
Ⅰ 浜御殿と幕末の海軍施設「石室」
Ⅱ 明治日本の外国貴賓「おもてなし」
Ⅲ 西欧式「晩餐・夜会」で「おもてなし」
Ⅳ 延遼館 外務省から宮内省へ
慶応2年(1866)、浜御殿が幕府海軍の管轄とされ、翌年、海軍庁舎・教習施設として「石室」と呼ばれる木骨石造の建物が建造。明治2年(1869)イギリス王子エジンバラ公を国賓として迎えるに当たり、急遽「石室」に営繕を加え、ここに延遼館の名が付けられた近代日本最初の迎賓施設が誕生。明治3年(1870)、旧浜御殿一円宮内省の所轄となりますが、延遼館のみ外務省が所轄。明治16年(1883)鹿鳴館が落成し、外務省主催行事の表舞台の地位は譲ったものの、明治17年(1884)、初めての天覧相撲が開催され、明治以降停滞傾向にあった相撲界にとって、起死回生の転機になったと語り継がれているようです。同年宮内省所轄に移行。明治23年に取り壊しに至るまで、外交上の接遇の主要舞台として、あるいは政府要人らが催す会議や祝宴、イベントの会場として幅広く活用されてきた延遼館の姿が浮き彫りにされています。
国指定特別名勝及び特別史跡の浜離宮恩賜庭園内に、この歴史的建造物が復元される日が待たれます。